2008年05月09日

海峡のアリア 著者/田月仙

昨日の続き

『首相官邸で歌う』
2002年日韓共同開催のサッカーワールドカップが開幕すると、国を挙げての応援合戦が繰り広げられた。(中略)私は、記念公演「海を越えて」を企画し、東京都交響楽団の演奏に合わせ、韓国と日本の声楽家や日韓混成合唱団と共に、両国の歌を披露した。東京オペラシティコンサートホールは、歌を愛する日本人の聴衆と在日コリアンたちで賑わい、客席は埋め尽くされた。この公演に合わせて、私は新しい歌「海を越えて」を作った。海を隔てた二つの国を恋人同士に喩えて、「愛(サラン)」を歌い上げる、日本語と韓国語の混じったデュエット曲だ。韓国で、日本の歌「夜明けのうた」を歌えなかったときから、私は日韓で一緒に歌える歌を作りたいと思っていた。友人たちに呼び掛け、力を合わせて作り上げた。公演は大成功に終わり、当日の模様はNHKニュースにめ取り上げられた。この夏、人々の熱狂の渦の中で、ワールドカップは幕を下ろそうとしていた。横浜国際総合競技場で行われた閉会式には、韓国から金大中大統領も出席した。 7月1日。首相官邸で小泉純一郎総理大臣主催の金大中大統領夫妻歓迎公演が行われた。私は、この公演の独唱者に選ばれた。その連絡が来たときは耳を疑った。かつてはこの日本で音楽大学の受験資格すら与えてもらえなかった私が、日韓の両首脳の前で歌を披露するのだ(山口註:田月仙女史は桐朋学園大学短期大学芸術科を受験する以前に別の音楽大学に願書を提出したが、月仙女史の出身校である朝鮮学校は各種学校扱いのため、その音楽大学には受験資格は認められなかった)。 本名にふりがなを振って、朝鮮高校の内申書を手に一人で日本の音楽大学に行き、「受験資格はない」と、いとも簡単に願書を突き返された18歳のあの日が、突然脳裏によみがえった。長年の努力が認められたのだと思うと感無量だった。と同時に、こうした道を切り開いてくれた日本への感謝の気持ちが深まった。(中略)会場に向かう通路には、赤い絨毯が敷かれていた。イブニングドレスに身を包んだ私は、ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように歩み進んだ。両国旗が掲げられた広間の中央に、両首脳の席が設けられていた。小泉純一郎総理の隣に、金大中大統領の姿が見えた。(中略)この舞台で私が歌うのは、日本と韓国の歌だ。もし韓国から来た歌手が日本の歌を歌うなら、それは彼らにとっては外国の歌だ。私は違う。日本の歌も、韓国の歌も、自分の歌として歌うことができる。それは「在日コリアン」であるがゆえに可能なのだ。日本で差別され、祖国では無理解に戸惑ったかつての私はそこにはいない。どんなときも歌い続けてきたことを誇りに思った。ステージに立ち、正面を見据えた。皆の視線が一斉に集まった。小泉総理は期待を表すように、にこやかに微笑んでいた。金大中大統領は真剣な表情で私をじっと見つめていた。静まりかえった空間に向けて、私は歌い始めた。  兎追いし かの山  小鮒釣りし かの川  夢は今もめぐりて  忘れがたき 故郷  (「ふるさと」作詞/高野辰之 作曲/岡野貞一)  私は、自分の「故郷」が日本であるという、あたりまえのことを考えていた。遠い昔、立川の家で、母が羽衣伝説を語って聴かせてくれたことが頭をよぎった。「ふるさと」は、あの頃の母と一緒に歌った歌だ。私は、遠い追憶を辿りながら、心を込めて歌い上げた。 そして、朝鮮民族なら誰でも口ずさむことのできる歌「アリラン」。 それは、父母の歌でもある。  アリラン アリラン アリランヨ  アリラン峠を越えてゆく  私を捨て去りゆく君は  十里も行けずに足が痛むでしょう  ソプラノで厳かに歌う「アリラン」が、水を打ったように静かな空間に響きわたった。(後半略:P230〜P237)

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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