2008年04月25日

銀座木村屋あんパン物語 著者/大山 真人

昨日の続き

『「文明開化に相応しいもの」』
明治8年、23歳だった明治天皇が、木村屋のあんパンを食べ非常に喜んだ。直接勧めたのは侍従の山岡鉄舟なのだが、そのきっかけを与えた人物がいた。水戸徳川家十代目の藩主、徳川昭武である。 昭武は嘉永6(1853)年、徳川慶喜の実弟として水戸家に生まれた。同年にはペリーが浦賀沖に来航して開港を求めている。慶應3(1867)年、慶喜の代理として渡欧、ヨーロッパ各国を歴訪した。その後パリで留学生活を送ったのだが、明治維新の急変を受け、翌明治元年に帰国した。欧州の空気をいち早く吸うことができた数少ない人物の一人である。リベラルな発想を持ち得たのはこの留学によるところが大きい。明治8年4月4日の明治天皇・皇后両陛下が向島にあった水戸下屋敷への行幸の際、接待する茶菓について昭武公が侍従の山岡鉄舟に相談した。 お茶は旧幕臣が中心となって開発した静岡牧ノ原の茶を使うことに決定。茶菓については「文明開化に相応しいもの」を基準に捜した。鉄舟は即座に「木村屋のあんパン」を推奨した。昭武公はあんパンを知らなかった。そこで、銀座にある木村屋というパン屋が、酒種を使ったあんパンを考案して大評判をとっていることや、西洋パンというより、和と洋のいいところを合わせ持った、これからの日本には相応しい食べ物であることを強調した。 昭武公は非常に興味を持ち、「是非試食したい」と鉄舟に申し渡した。鉄舟はその足で銀座木村屋を訪れ、天皇・皇后両陛下にあんパンを献上したい旨を申し出た。応対した英三郎は、最初あまりにも恐れ多いことと献上をためらう。しかし鉄舟は英三郎を諭し、「最高のあんパンを献上するように」納得させた。後日、鉄舟が昭武公のもとへあんパンを持参する。試食すると絶賛して、天皇献上の話はすぐに本決まりになった。 明治7年暮れ、英三郎にあんパン献上の「内命」が届く。すると英三郎は、天皇家献上用の最高のあんパンを目指して日夜研究を続け、ついに「桜あんパン」を誕生させる。そして運命の明治8年4月4日を迎えることになったというのが真相である。(中略)明治天皇に塩漬けした八重桜の花びらを載せたあんパンを献上した木村屋では、献上品と区別するため、これ以降一般販売品にはケシを載せた。翌9年、昭武公は再び渡欧した。帰国後も昭武公は英三郎を屋敷に招き、外国の諸事情とともにパンについて話した。英三郎はそのすべてをメモに取り、店に戻ってから試作に没頭した。(後半略:P118〜P122)

そういえば、前書きで私は子供の頃はあまり買い食いはしなかったと言いましたが、それでもたまに買い食いをするときに、お気に入りだったのは、あんパン以外では、「メロンパン」でした。小さい頃はメロンパンは本当にパン生地にメロンの果汁が練り込まれていると信じていました。皆さんもそう信じてませんでしたか?

ちなみに私の子供の頃の高価で憧れのフルーツといえばメロンとパイナップルだったと思いますね。だからメロンパンの「メロン」の字にたまらない魅力を感じて、物凄くゴージャスな雰囲気を感じていたのです。ちなみに小田空さんという漫画家兼中国ウオッチャーの女性による香港レポートによると、日本でいう「メロンパン」は、香港では「菠羅飽(ポーローバウ〓パイナップルパン)」として、香港の人々に愛されているそうです。なにはともあれ、菓子パンの元祖であるあんパンの本家・銀座木村屋の近代日本とともに歩んだ120年以上に渡る歴史へ招待してくれる一冊です。〔平凡社〕

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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