2008年04月22日

銀座木村屋あんパン物語 著者/大山 真人

昨日の続き

◎内容抜粋
『武士の商法成功す』
維新の「革命」がまだ覚めやらぬ明治2(1869)年、一軒のパン屋が芝日蔭町(今のJR新橋駅西口広場あたり)にオープンした。木村屋の前身、「文英堂」の誕生だった。 創業者は、木村安兵衛という元武士である。維新後、それまで徳川幕府に仕えてきた大名や小名の家臣、徳川譜代の旗本たちは一斉に職を失う。紀州家の「江戸お蔵番」から、江戸市中警備の任にあった安兵衛も、同様に失職した。安兵衛は叔父にあたる木村重義のすすめで、新政府が開設した「授産所」に事務職として勤めはじめた。授産所というのは、今で言う職業訓練所のような機能をもったところで、食い扶持を失った下級武士たちが大勢押しかけた。ここで安兵衛は「パン屋」という職業に出会う。 一般には、武士の商法というものは「下手な商売」の代名詞のように考えられてきた。しかし経済学者東畑精一は、『日本資本主義の形成者』の中で、「自ら執着し、また自らを束縛するべき、何の過去も伝統も持っていない。かくて旧武士は敢えて新規のもとへと突入できたし、何かをなす限り、ことごとく新しいものであった。そしてこのような冒険心とか敢行力とかが、主として育成されていたのは僅かな例外を除いて、専ら武士、ことに下級武士の間に置いてではなかったか……」と記し、失業救済事業が「救済」だけに終わらず、「創造」にまで昇華したと士族授産所を高く評価している。安兵衛もまた、「新時代に見合う新商売」、今風に表現すれば、「ベンチャービジネスに異業種から果敢に挑戦した男」ということになるのだろうか。 安兵衛をパン製造という未知の世界に飛び込ませたものは、この「冒険心」と「敢行力」だったのかもしれない。どちらにせよ、「士族の商法」の多くが必ずしも日の目を見ることのない中で、この新事業が息子たちに引き継がれ、やがて大成功することになるのだから、安兵衛は並みの武士ではなかったことになる。 その「成功へのプロセス」の中で、安兵衛とその息子たちは剣豪山岡鉄舟との知己を得、彼を介して自らの作ったあんパンを明治天皇に献上、また、徳川家最後の将軍慶喜の好物のひとつにも加えられるという幸運に恵まれる。また、あんパンの全国展開に関しては、再び鉄舟を介して街道一の大親分清水次郎長の全面的なバックアップで、静岡と焼津に木村屋の店を新設。以降、北は北海道から南は台湾のキールン(基隆)、中国大陸の各都市にまで出店を増やすことに成功するのである。 「武士の商法」の出発点を支えたものが安兵衛の「冒険心」と「敢行力」であるとするなら、その道筋を開いたものは、安兵衛をはじめとする「木村屋」が培ってきた「義侠心」、あるいは「家族意識」「職人魂」というものだったのではないだろうか。それに商売には欠かすことのできない「先見性」と「運」が加えられたものと考えられる。 明治維新という激動期に、政治面での大変革だけではない西洋の食文化の流入、それに戸惑う横浜や江戸(東京)市中の人たち、為政者たちの狼狽ぶりといった背景の中で、元下級武士の作ったあんパンがどのようにもてはやされ、やがて全国制覇を成し遂げたのか。(後半略:P7〜P12)

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
宜しければクリックを、人気blogランキングへ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。