2007年12月26日

サラブレッド・ビジネス―ラムタラと日本競馬 著者/江面弘也

昨日の続き

『日本型競馬の繁栄』
82年、中央競馬の馬券売り上げは前年比1パーセントの伸びにとどまった。これは、創設2年目の55年に一度ダウンしたことを除けば、史上最低の伸び率であった。売り上げの伸び悩みは、日本中央競馬会という組織にとって何よりも深刻な問題となっていた。中央競馬の売り上げは、およそ75パーセントが配当として還元され、10パーセントが第一国庫納付金として納められている。そして残りの15パーセントがJRAの収益となり、そこからレース賞金を含むすべての運営費を差し引いた純利益(国とJRAは余剰金と呼んでいる)の半分も第二国庫納付金として徴収されている。ちなみに、82年の国庫納付金の総額は1718億8千万円余り(うち第二国庫納付金は300億3千万円強)で、馬券の売り上げが初めて4兆円になった97年には4674億4千万円(同じく673億7千万円強)を超える額が国庫に納められた。(中略)ところで、国に納められる国庫納付金の四分の三は家畜振興事業に、そして残りの四分の一は社会福祉事業に使われることになっている(日本中央競馬会法 第27条、第36条)。そこには、農水官僚の天下り先となる公益法人(農水省畜産局に関係する団体だけでも百二十ある)や農林族議員の利権が介入してくるのは言うまでもない。 さて、売り上げが伸びないことに危機感を抱いた日本中央競馬会は、この82年を機にトータルなマーケティング戦略に力を入れるようになった。競馬のイメージアップをはかり新しい客を開拓するキャンペーン活動と、直接馬券の売り上げとして跳ね返ってくる施設やシステムの整備である。まず、キャンペーン活動のターゲットとなったのは80年代に入って社会進出がより顕著になっていた女性だった。「レディースデー」や「女性のための競馬教室」などを催して、競馬やギャンブルに対してアレルギーがある女性への「普及活動」が始められた。また、女性が入場しやすくなるようにと、競馬場も改修されていった。奇抜なレイアウトでガラス張りのスタンドが登場するのはこの頃からである。それらと並行して場外馬券売り場を新設し、馬券の販売システムを整備していった。電話を使って賭ける「電話投票」の枠を拡大し、90年代に入るとパソコンなどでも馬券を買えるようになっている(PAT方式)。こういった「場外馬券」の販売網の充実こそが、世界でも類を見ない馬券の売り上げを誇る最大の要因となっていく。(中略)こうしたJRAの「企業努力」を膨らみ続けるバブル景気が後押しし、中央競馬の売り上げと入場者数は再び右肩上がりに成長を続けていくことになる。そして、そこに登場したのがオグリキャップである。地方の笠松競馬場(岐阜県笠松町)から中央入りしたオグリキャップのひたむきな走りは多くの人の心をとらえ、彼はハイセイコー以来のアイドルホースとなった。(後半略:P150〜P154)

私自身は、現在は馬券を買うことはありませんが、逆にJRAのCF(妻夫木聡氏主演)にエキストラとして、何度か仕事をいただいたことがあるのは、エキストラQ&Aで記述した通りですが、別にだからといってそのために、JRAの宣伝として本書を紹介するわけであはありませんよ、念のため!前書きで述べたようにあくまでも馬を、競馬を通して歴史や経済を知っていただくためです。

ちなみにサブタイトルになっている「ラムタラ」とは、1995年にイギリスダービーとキングジョージ六世&クィーンエリザベスステークス、凱旋門賞というヨーロッパの三大レースに優勝し、その後、日本に種牡馬として30億円で輸入された世界的名
馬の名前です。〔文春新書〕



江面 弘也
1960年、福島県生まれ。東京理科大学理学部数学科を卒業後、日本中央競馬会の外郭団体である(株)中央競馬ピーアール・センターに入社。雑誌『優駿』の編集に12年間携わったのち、フリーとなる。競馬のほかに、野球・医療などをテーマに雑誌・新聞に執筆している。共著書に『名馬物語』(アスキー)などがある。
posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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