2007年12月25日

サラブレッド・ビジネス―ラムタラと日本競馬 著者/江面弘也

昨日の続き

◎内容抜粋
『イギリス貴族がつくったサラブレッドと近代競馬』
サラブレッドという種類の馬をつくりあげ、近代競馬のシステムを完成させたのはイギリスの貴族たちである。もともと騎士を祖先とするイギリス貴族にとって、名馬を所有することはなによりも名誉なことだった。勇猛な「騎士の血」はイギリス貴族を乗馬や狩猟に夢中にさせていたのだが、それと同じくらいに彼らが熱をあげたのがギャンブルである。トランプやサイコロ賭博は貴族の教養のひとつと考えられ、ギャンブルは王室の伝統とさえ言われるほどだった。(中略)さて、近代競馬が成立するのは18世紀になってからだが、それ以前は、王侯貴族やジェントリー(ジェントルマンの語源)と呼ばれる地方の大地主らが金を賭け合って、お互いの馬を競争させるマッチレースが主流だった。七歳馬ぐらいが中心となり、4マイルから6マイルの長い距離を3回から5回走るヒートレースが標準スタイルである。馬には馬主である貴族や地主が騎乗することが多かった(職業騎手が登場するのも18世紀になってからである)。また、16世紀には王立の種馬牧場ができ、競馬場も各地に造られている。さらに、金と武力によって東洋種のアラブ馬、トルコ馬(ターク)、バルブ馬(北アフリカが産地だが、広い意味で東洋種とされる)などを手に入れて、それらとかけ合わせることで自分たちの馬を改良していった。イギリスに東洋種が入ってきたのは十字軍の東方遠征の頃からで、美しく俊敏な動きをする馬に魅了された騎士たちが戦利品として持ち帰ったといわれている。(中略)広大な領地を所有し、その莫大な「あがり」で生活していたイギリス貴族にとって、商売や労働で金を稼ぐのは悪徳であり恥ずかしいことだった。むしろ金を浪費することに彼らの時間と労力は注がれていたといっていい。領地にはカントリー・ハウスという城のような屋敷を建て、その装飾には可能な限りの贅を尽くした。絵画などの美術品を集め、きらびやかに着飾って舞踏会を開いた。そして、ギャンブル。賭けに負けて多額の借金をすることをデット・オブ・オナー(名誉の借金)といって誇りにする風潮さえあった。(中略)そんなイギリス貴族たちにとって、乗馬と賭博を組み合わせた競馬は究極の遊びとなった。大金を賭けて馬を競わせることは、暇と金を持て余した「騎士の末裔」には十分に刺激的だったと想像できる。また、それを観戦する貴族たちやジェントリーたちも、レースそっちのけで自分の賭けに夢中になっていた。(中略)18世紀の半ばまでに200頭を超える東洋種の種牡馬が、馬の改良を目的にイギリスに輸入されているが、その大半の系統はすぐに途絶え、(中略)現在のサラブレッドの父系を遡っていくと、すべての馬がたった三頭の東洋種牡馬に辿り着くようになってしまった。バイアリー・ターク(1680年生まれ、1689年輸入)、ダーレー・アラビアン(1700年生まれ、1706年輸入)、ゴドルフィン・バルブ(1724年生まれ、1730年輸入)がそれで、サラブレッドの「三大始祖」と呼ばれている。(後半略:P48〜P56)

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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