2007年05月09日

中国茶風雅の裏側 スーパーブランドのからくり 著者/平野久美子

山口氏の読みどころ

皆さんは、お茶党ですか?コーヒー党ですか?私はどちらを選ぶかと言われればお茶を選びます。あ、別にコーヒーが嫌いなわけじゃありませんよ。もちろんコーヒーだって飲むときはありますとも!

でも、今回は、お茶の本の紹介ですのでお茶の話を。私が子供の頃に家にあるお茶といえばありきたりな緑茶、紙パックの紅茶、そして麦茶程度でした。和菓子が大好きで特に大福、ボタモチ、ドラヤキが大好物の三種の神器だった私は、これらがオヤツで出た時にはよく自分でお茶を入れてお茶の香りと小豆餡の旨味に至福を感じたものです。

ちなみに私の妹は徹底的な紅茶党で、その紅茶に合う洋菓子(といっても、せいぜいクッキーやホットケーキ程度ですが)を母親に求めたために、よく私と何をオヤツに要求するかで対立しましたが。

また、夏場は学校や外での遊びや父親の畑仕事の手伝いから帰ってきた時に、母親が作っておいてくれた、冷えた香ばしい麦茶を一気飲みするのが最高の快感でした。

しかも私一人であっという間に飲みほしてしまうため、母親がいくら作り置いてもキリがないと、よくボヤいていたものです。でもこれらの日本茶や麦茶、紅茶は特に上等なメーカーのものだったり、凝った入れかたをしていたわけでもありません。普通のどの家にでもあるだろう、ありきたりな品だったわけで、別に我が家が特にお茶にこだわりのある家だったわけでもなし。

ましてやここで紹介する本に書いてあるような中国茶なるものは見たことも、口にしたこともありませんでした。もちろんお茶の発祥の地が中国であるという知識くらいは、いくら子供でも知っていましたが、では具体的に中国茶と日本茶がどう違うかなんて、現物を見たことも、口にしたこともない以上、わかるはずもない。

しかし、歴史の本を読んで阿片戦争のことは知っていましたから、あの戦争は、皆さんご存じのように、イギリスが中国(当時は清国)からのお茶の輸入超過による銀の流出を是正するために、阿片を売り込み、そのことが原因でイギリスと中国が戦争になったという事件ですが、イギリスが輸入していたお茶というからには、中国のお茶とは、紅茶なのだろうと漠然と想像していた程度でした。

緑茶と紅茶が同じ樹からできるもので、単に発酵させたか、させていないかという、製法の違いでしかないことを知ったのも中学生くらいでした。元々歴史の本を読むのが好きで、中国に関する歴史の本を読むなかで、お茶についての歴史も少しずつ知っていきましたが、それでも中国茶なるものは、上京するまで口にしたことは、ありませんでした。

上京してから中国茶と遭遇したのは次のような経緯です。私は東京に来てなにより、マイッタことは水道の水が飲めないこと。臭くて不味くてどうしようもない!なんだ、こりゃ?ドブの水かよ!と本気で疑ったほどです。飲食店で出されるお冷やも、同様の酷さ。一体、東京の人間は何を飲んで生活してるんだろう、と頭を悩ませました。

こんなことを書いたら、東京生まれの東京育ちの方々から抗議、苦情、非難、罵倒を浴びかねないのが恐ろしいのですが、しかし、本気でそう思ったのです。なにしろ私の故郷は何度も書いていますが、ド田舎で、そのためなのか、水がとても美味かった!別に特別な湧き水だとか、名水だとかじゃなくて、何のことはない、単なる水道水でしたが、真夏に遊びまくって、汗を大量にかいて、喉が渇いた時に蛇口を全開にして流れる水道水に口につけてゴクゴク飲んだ味は今も忘れられないほど美味しかったものです。

学校の体育の授業の後もそうでした。もちろんコーラやジュースがあればそちらを飲みましたが、それでも単なる水道水なのに渇いた喉にはコーラやジュースに負けないくらい美味い!それが私の故郷の水でした。

先に書いたように母親が作って置いてくれた麦茶をあっという間に飲みほしたのも、使用した水が抜群に美味かったことも大きな理由でしょう。だからマジで東京の水道水の酷さには愕然としました!どんなに喉が渇いた時でも飲む気が全然起きないのです。

結局、私が水がわりに飲んだのはコーラでした。職場と寮の冷蔵庫に常にコーラの1リットル瓶を入れておいて、ひたすらコーラばかり飲み続けました。演劇をするために少しでもお金を貯めなければならないのに、コーラを水がわりにしていては出費もバカにならないのですが、しかし、どうしても東京の水道水はそのままでは口にできない。こればかりはどうしようもありませんでした。

そんな私を見て、職場の先輩が、「そんなにコーラばかり、飲んでると、体に悪いぞ!糖尿病になるぞ、お前!どうせ飲むならウーロン茶を飲め」と言ってきたのです。「へ?ウーロン茶??何すか、それ?!」。私はこの時、初めてウーロン茶という名前を耳にしました。そう言われてみれば先輩達はいつもなにやら褐色の飲みものを飲んでいましたが、私は多分、麦茶だろうと思っていたのです。

先輩達が言うには、ウーロン茶は、体内の脂肪を洗い流すだか、あるいは脂肪の吸収を抑えるだかと言って、とにかく体にいいから、コーラなんか止めてウーロン茶を飲めと、しきりに勧めるのでした。それまでお茶といえば日本茶か麦茶程度で、私にとってウーロン茶なる代物の存在を聞くのもその時が初めてでしたが、元々好奇心が旺盛な私は、先輩達がそうまで勧めるならばきっと美味いに違いないと思い、早速、寮の近所にある酒屋にあったウーロン茶を買い、飲んでみると、その感想たる「……!……!」ってな感じでした。

別に不味くはないのですが、馴染みのない妙な香りと味わい。まあ、今まで飲んだことなかったから馴染みのない味で当たり前ですが……。

そんなわけで、私はこのウーロン茶なるものを飲むことに躊躇いを感じたのですが、しかし、それまでに上京以来、一年間、コーラを水がわりに飲み続ける日々が続いた私は、当然ながらコーラに飽きが来ていました。コーラが水がわりの生活を一年間も続
けると、コーラが大嫌いになり、見るのも嫌になりました。

しかし、コーラ以外の飲み物といってもコーラと大同小異の炭酸飲料かジュース系、コーヒー飲料の類も飲む気が起きない。一年間にも及ぶコーラ漬けの日々は私の嗜好をすっかり変えてしまい、甘味が強い飲み物を拒絶するようにしてしまっていたのです。しかし、だからといって、やはり水道水は飲めないし、ミネラルウォーターも、故郷の水の美味さにはかなわない。故郷の水道水より味が劣る水を飲むために金を払う気なんか起きませんでした。そのくらい私の故郷の水は美味かったのです。

結局、私が取った選択は職場の先輩達の勧めに従い、ウーロン茶ということになりました。それから間もなく最初に勤めていた会社を演劇活動開始のために辞めて、家賃15000円の四畳半ボロアパートに引っ越したのですが、その近くに酒・食料品の安売り店があり、そこで安売りされているお茶系の飲料をまとめ買いするようになったわけです。お茶系の清涼飲料も日本茶や麦茶なら子供の頃から馴染みがあったから問題無いのですが、ウーロン茶、ジャスミン茶など中国茶系の味には、なかなか馴染めませんでした。

しかし、商品の仕入れがどのような仕組みなのか知りませんが、その安売り店は日本茶や麦茶よりもウーロン茶やジャスミン茶の方が安かった。貧乏生活の哀しさというやつで、馴染めない味ではあっても水道水よりはマシだと割り切り、ウーロン茶をまとめ買いすることとなった次第。というわけで長らく私にとってウーロン茶をはじめとする中国茶は、こういう言い方をしては語弊がありますが、水道水よりはマシな安いだけが取り柄の飲み物でしかありませんでした。

そんな私の思い込みが無知に過ぎなかったことを思い知らされるには、上京してから10年以上の歳月を必要としました。20世紀も終焉に近づいたある時期、私は上京してきてから幾つ目かの某俳優養成所に通っていて、その養成所が主催する舞台公演に出演し、千秋楽を無事終えた後の打ち上げパーティーが新宿の某中華料理店で開かれたわけです。

そこで出されたお茶は、当然ながら中国茶だったわけですが、そのお茶にびっくりしました。味も香りも、普段仕方なしに飲んでいる安売りのウーロン茶やジャスミン茶なんか問題にならない美味しさでした。そこで出ていたウーロン茶、ジャスミン茶の他にプーアル茶や、その他幾つかのお茶を夢中で飲んで、私の中の中国茶に対する誤解と偏見が消しとびました。そんな私の様子を、普段から中国茶を愛好している、一期上の先輩(女)が、面白そうに見ていて、私に一言。「ディスカウントの安売りのお茶なんかマトモな葉っぱを使っているわけないじゃん!そんなモノを基準にして中国茶を判断しちゃダメよ!」 ごもっとも!私が浅薄かでございました。

その一件で遅ればせながら中国茶に対する誤解と偏見に気づいた私は、お金と機会があれば、中国茶を試してみるようになりました。もちろん店によって当たり外れはありますがね。現在は私のかつての演劇仲間が月イチで朗読発表会を催しているカクテル・バー(第36回エキストラQ&A参照されたし)で、酒を何杯か干した後にシメで飲む中国茶が私の楽しみです。モノはジャスミン茶、凍頂烏龍茶、プーアル茶、そしてチベットの《紅景天》というお茶。

ちなみにこの《紅景天》は毒出しに効果に優れたお茶だという、マスターの推薦で飲んでいます。モノは厚手の板チョコのような固形物をナイフで削って入れるそうで、茶葉を様々な薬草と一緒に練り固めたものだそうな。薬草のためか少し味にクセはあるけど、確かに飲んだ後に爽快な気分を私は感じています。

◎内容抜粋
『清涼飲料の代名詞となった「鉄観音」』
烏龍茶の最高峰は「大紅袍」に違いないが、日本人に知れ渡っているブランドは、同じ福建省産でも「鉄観音」だ。福建省から日本へと、どどっと烏龍茶が動いたのは、1972年の日中国交正常化がきっかけであった。1978年の日中平和友好条約締結後から輸入が本格的になった烏龍茶は、主に清涼飲料の原料として使われてきた。それでは、清涼飲料に福建省を代表するブランド「鉄観音」が使われていたのかというとそうでもない。高級なブランド「鉄観音」は70年代、まだ生産量がごく僅かだったのに、ある飲料会社がイメージアップのために「鉄観音」の名をつけたため、清涼飲料の代名詞となって浸透したのである。明代嘉靖年間の史書に『安渓且誌』に記録が残るとおり、福建省の安渓一帯では古くから茶の栽培が行われてきた。烏龍茶の生産は明代末から清代にかけて始まり、二百年ほど前には現在とほぼ同じ味が完成していたらしい。清代の史書『尭陽茶史』が伝えるところによると、1736年(乾隆元年)に、尭陽に住む書生の王士亮が、南山峰の麓で白い閃光を目撃する。その光を辿っていくと、一本の茶樹に行きあたった。不思議な閃光に照らされた樹を、霊験あらたかなものだと直感した彼は、細心の注意を払って茶樹を持ち帰り、その翌年にお茶を作ってみた。すると、えもいわれぬ香りを帯びた素晴らしい味が出来上がり、それを飲んだ人々は、生き返ったような気分になった。お茶の評判はあっという間に広がり、宮廷にも献上することになった。皇帝はたいそう気に入り、南山観音の麓に生えている樹であることから「南岩鉄観音」の名を与えた。また、別の伝説では、安渓県松林頭に住む信仰心の厚い茶農の巍飲が、いつものように観音様にお参りをしていると、天から閃光が走り、岩の隙間に生えている茶樹を照らした。そこで木を持ち帰ってお茶を作ったところ、鉄のような美しい色のお茶ができたので、名前を「鉄観音」と名付けたとも言われている。熟果香と焙煎香が混ざり合い、タンニンの渋味ときれのよい甘さが一体となった「鉄観音」は、さすがに福建省が誇るブランドだけのことはある。ぎゅっと揉捻し丸みを持たせた茶葉だから、五煎、六煎まで愉しめて、コストパフォーマンスがよい烏龍茶だ。19世紀から20世紀初めにかけて、各国の博覧会に出品されては賞を獲得したので、「鉄観音」の名前はしだいに世界へ広がっていく。台湾の台北市郊外で作られる「木柵鉄観音」は、清代光緒年間(1875〜1908)に安渓県から渡ってきた張兄弟が「鉄観音」の苗を一千株移植したところ見事に根付き、栽培が始まったものである。こうした「鉄観音」の歴史や茶葉からいれたときの深い味わいがほとんど伝わらぬうちに、日本では烏龍茶飲料の代名詞となって名前が知られるようになった。水色がよく似ていることから、「鉄観音」は、ほうじ茶の親戚、くらいに思って飲んでいた消費者が多かったように思う。本来、烏龍茶は、ほうじ茶とは違い、補火、再火と少しずつ火を入れて独得の味を作り出す。しかし、中にはこうした手間のかかる作業を省いてしまっているものがある。清涼飲料の原料に手抜きした下級ランクの、仕上げの焙煎を強くして味のバランスを作り出しているものが使われると、独特の芳香や甘味の余韻が薄く、焙煎香が特徴のほうじ茶とそれほど変わらなくなる。その点が日本人の味覚にすんなりと受け入れられた理由になったのだとすれば、福建省の友人が 「日本人は本物の鉄観音茶の味をわかっていない」 と、よくこぼしていたのも一理ある。1999年の初夏、私は福建省安渓県西坪を訪れた。1995年3月に省政府から“烏龍茶郷”と命名が許されたのは、生産量の多さもさることながら、西坪郷で樹齢千年を越える老木が確認されたことが決定的となった。数時間ドライブしているというのに、左右の景色は殆んど変わらず、車窓から見える茶畑が途方もない広さに思えてきた。案内係りが言う。 「段々畑に開墾して山の上まで植えてあるんです」 日本で起きた烏龍茶ブームのおかげで、周辺の山はことごとく開墾が進み、途方もなく大きな茶畑に生まれ変わったという。1997年度の安渓県西坪の茶農家は七千戸以上。畑の総面積は25万ヘクタールに及ぶ。ちなみに、中国全土の茶畑面積は110・6万ヘクタール、総生産量は68万トン(2000年度)も及ぶ。1970年代後半から国家商検局や監督官庁が、日本向けの茶葉に対し出荷から品質保証まであらゆる基準を見直し、安定供給できるよう体制を整えたおかげで、1980年代には千トン単位、1990年代には万トン単位で日本向けの輸出が増えた。日本における茶葉の消費量をみると、1975年には僅か400トンあまりだった烏龍茶の消費量が、2000年度には2万トン以上に増えている。全中国で生産される烏龍茶の80パーセントが福建省産であることを考えると、どれだけ地域の経済に貢献してきたかがよくわかる。福建省では、福安の茶業試験所が開発した「九龍袍」、「春蘭」、「丹桂」など、新世代の烏龍茶の品種開発が続々と行われている。こうしたニューカマーが日本で新しいブランドとして認知される日は目前だ。ようやく車が停まったので山のてっぺんまで歩いて登ると、クチナシの灌木が畑のあちこちであでやかな白い花を咲かせ、泥まみれで枝葉を伸ばしたやんちゃな鉄観音の樹が、見渡す限りの視界に植えられていた。中国では、土壌のバランスを保つために菜の花や大豆を一緒に植えている茶畑をよく見かける。 「クチナシと一緒に植えると、花の芳香が茶葉に吸い付くのです」 真偽のほどはともかく、クチナシの甘い香りが山麓までをおおっていた。(P96〜P100)

『かくしてブームは始まった』
烏龍茶が初めて缶飲料となって発売されたのは1981(昭和56)年。期せずして準備期間になったほど1970年代には、様々な事柄が起こり、中国茶を受け入れる状況が整っていった。以下にそれを書き出してみると……。 1 中華人民共和国との国交が樹立し(1972年)、日中平和友好条約が締結された(1978年) 2 缶入り茶が登場した(1973年) 3 輸入茶に対する関税が引き下げられた(1974年) 4 コンビニが台頭を始める(70年代後半) 5 食生活が多様化し、ダイエット、健康志向が強まる(70年代後半) 戦後、台湾に政府を置く国民党政府が率いる中華民国と、北京に政府を置く共産党政府の中華人民共和国、すなわち“二つの中国”に分かれてしまった状態の中で、日本は1952年、「中華民国」を国交回復の相手に選んだ。そのため、1972(昭和47)年までは、大陸との間には民間団体による僅かな窓口しかなく、細々と経済、文化交流を図っていたのである。1970(昭和45)年に大阪で開かれた万国博覧会の中国パビリオンで、烏龍茶の試飲に長い列ができたのは、折からの健康ブームと重なり、お茶に託して中国をもっと知りたいという好奇心があったためと思われる。1972年、当時の田中角栄首相が日中国交回復を果たすと、竹のカーテンの向こう側への関心が一気に高まった。1979年頃、国民的アイドル歌手だった「ピンクレディ」が、テレビの歌番組の中で烏龍茶を飲んで痩せたことを披露すると、たちまちそのダイエット効果に注目が集まり、烏龍茶への問い合わせがお茶屋さんやデパートに殺到した。若い女性が痩せた体型こそが美しいと信じ込み、ダイエットに夢中になりだしたのも、ダイエット記事が女性誌に溢れだしたのも70年代から。1967年に、当時世界的な人気を誇っていたロンドンのモデル、ツィッギーが来日したとき、日本女性は、168センチ、41キロの体型に息をのんだ。ピンクレディの発言は、中国茶とダイエットブームをつなげる役割を果たしたけれど、烏龍茶の製法をきちんと伝えられる売り手も、烏龍茶が半発酵のお茶であるとわかって買いに来る消費者も少なかった。人気歌手のダイエットにあやかろうとした第一次のブームが去ったと同時に、烏龍茶の売り上げも頭打ちになった。代わって1981年に登場したのが簡便な缶入りの「ウーロン茶」だった。まもなくコンビニや自販機で気軽に買えるようになると烏龍茶飲料は、あっという間に全国へ広がった。日本での中国茶ブームを決定的にしたのは、茶葉から入れる泡茶法ではなく、自販機の成長とともに生活に浸透していったウーロン茶だ。80年代に起きたこの清涼飲料を主体にした中国茶人気を、第二次ブームと呼んでいる。(P103〜P105)

いゃ〜!ウーロン茶って案外早くから日本に入ってきていたんですねぇ〜。恥ずかしながら私は既述したように上京してから初めてウーロン茶の存在を知ったために、ウーロン茶なるものが日本に出回ったのも、その頃からだろうと勝手に思い込んでましたわ!

しかし、あえて弁解させてもらえば私の田舎のスーパーマーケットや、その他の食料品店で、ウーロン茶その他の中国茶を見た記憶がないのです。小中学生の頃は母親の言いつけで、よく食料
品その他の買い物に行かされていたし、高校時代はスーパーマーケットや酒屋でバイトしていたから我が故郷の町の食料品店の品揃えは大体把握していましたから間違い内はずです。多分、私同様我が町の住民は中国茶に無知・無関心だったから需要がなかったのでしょう。

ちなみに私が好きなお茶のベスト3を挙げますと、一位・玄米茶 二位・梅こんぶ茶 三位・蕎麦茶 シブイ趣味していると友人、知人によく言われます。ってゆーか、中国茶じゃねーだろ!って突っ込みはナシね!前書きで書いたように、かつてはともかく今では中国茶だって少なくとも月イチでは、しっかり堪能しているんですから。 〔文春新書〕


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平野 久美子
東京生まれ。出版社勤務を経て、アジアの文化を題材に執筆活動を続ける。華人社会との出会いが中国茶とのつきあいの始まりとなった。著書に『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』『食べ物が語る香港史』『中国茶と茶館の旅』『カンボジアは誘う』『淡淡有情・忘れられた日本人の物語』(小学館ノンフィクション大賞)『中国茶・アジアの誘惑』『アジアンティーの世界』など。
posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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中国茶 風雅の裏側―スーパーブランドのからくり
Excerpt: 中国茶 風雅の裏側―スーパーブランドのからくり
Weblog: 忍者大好きいななさむ書房
Tracked: 2009-08-18 10:08
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