2007年02月12日

冒険家の食卓 著者/訳者名 C.W.ニコル/〔著〕松田銑/訳

山口氏の読みどころ

皆さんは、街中で、特に神社や公園等で群れている鳩を見て、何を考えますか?「平和の象徴!」、「可愛い!」と感じる人もいれば、公園で何か食べようとしている時に群がり寄ってきて、うざったい、と感じる人もいる人もいるでしょうし、また糞害で悩んでいる人には憎たらしい存在でしょうし、健康に非常に気を付けている人には鳥インフルエンザの脅威を感じる存在だったりして……。ちなみに私はどうかというと、その鳩にもよりますが、綺麗で羽毛のツヤも良く、丸々と太った鳩を見ると、つい、「美味そうだ!」と感じてしまいます。「ええっ!鳩が美味そうだなんて信じらんなーい!」という人も多々いらっしゃることでしょう。

しかし、それには理由があります。私が子供の頃、我が家は色々な生き物を飼っていました。犬はもちろん、兎や鶏、鳩、カナリア、インコ他の小鳥や鯉、鮒、金魚、亀などの小動物。それらの世話は全部、父がみていたのですが、それは父が動物好きだからと言えばそれまでなのですが、実はそう単純でもなくて。まあ、動物好きは事実なのですが、普通にペットとして可愛がる以外に家畜としての感覚でもあったようです。なぜなら、あれは多分、5歳くらいの、ある日の晩、我が家の食卓に上った鳥の唐揚げを父は「どうだ美味いだろ!これは今日、俺がシメタ鳥だぞ」と自慢気に語ったのです。普通、鳥の唐揚げとは鶏の肉ですよね。だから私はシメタというのは、てっきり、飼っていた鶏のことだと思ったのですが、翌朝、鶏の声で目覚め、「あれれぇ〜?変だなあ?」と思い、鳥小屋を覗くと、鶏はしっかり生きている。「父ちゃん。鶏は生きてるじゃないか」と言うと、父曰く「馬鹿、当たり前だろ。昨夜の鳥は鳩だ」。そう聞いて再び鳥小屋を覗くと、確かに鳩の数が減っていた。そして鳩の小屋の外にはむしられたとおぼしき鳩の羽毛が散乱していました。これを読んで「ヒドイ!なんて残酷な!」と思われる方も多々いらっしゃるかと……。

実際、数年前に私の友人の女性にこの体験を話してみたら、「鳩は平和の象徴じゃない!何で食べちゃうのよ!」と非難されました。しかし、あれは本当に美味かったんですよ。私は山岡士郎でも海原雄山でもないため、その味を適格に表現できませんがね。私にとって残念なことに姉と妹が鳩が可哀想だと言い出して我が家の食卓に鳩を供すことに強硬な抵抗をみせたために、息子の私には厳しいが、娘である姉と妹には甘い父は以後、鳩をシメなくなり、以後、私は鳩肉にありつけなくなりました。また、近所のおじさんが私にしてくれた話では、そのおじさんが学生の頃は終戦直後で食糧不足だったために、家で飼っていた犬を煮て食ったそうな。それを聞いたのは私の他に近所の子供たちもいたのですが、他の子供たちが「うわあ!残酷!」「気持ち悪い!」といった反応だったのに対し、私は「犬って美味いのか?」と質問して
、他の子供達に非難されました。犬を食べる機会は現在に至るもまだありませんが、いつか食べてみたいと思っています。

まあ、要するに私は普通の日本人とは食用にする動物というものの許容範囲が広いのかと思います。まあ、さすがにいくらなんでも、そこいらの犬や鳩を食用にしようと試みたりはしていませんが、もし、ここで紹介いたしますC・W・ニコル氏のように世界中を放浪、冒険するような生きざまを選んでいたら、日本人の感性ではとても理解できないようなものでも好奇心に駆られて口にしているかもしれません。しかし、考えてみれば、日本人は食用として考えていない鳩もヨーロッパや中近東、中国では別に珍しくもない食材だという話ですし、これまた日本人には馴染みのない兎肉だってやはりアメリカやヨーロッパでは立派な食材となるらしい。犬は中国や韓国、ベトナムやフィリピンなどではこれまた立派な食材だそうな。C・W・ニコル氏曰く「私はどんな民族の食物でも楽しんで食べるこてができ、冒険家として暮らしてきたおかげで様々の風変わりな食物を味わう機会に恵まれた」そうな。冒険する作家ニコル氏の食の冒険記。鳩だの兎だの犬だのなんてまだまだアマイ!日本人にはびっくり仰天の、いやいや、モノによっては日本人じゃなくてもアンビリーバボーでOh!MyGod!!な料理や食材が登場いたします。

◎内容抜粋
『あなた材料を知りたいですか?〔特選スパゲッティ〕』
それは1960年のことであった。ジョニーと私はインバーネスからグラスゴーへ来た。インバーネスでは二人でスカイ島へ通じる道路の工事現場で働いていたのだが、ある日現場監督が我々の訛りがおかしいと言って馬鹿にし、その上に我々が一台のキャンピングカーの中に同居しているからというだけの理由で、「ホモ野郎ども」と悪口を浴びせた。私は監督がの言ったことが気に入らなかったから、掘っていた溝の中にそいつを投げ込んだ。監督は無茶苦茶に腹を立てて、私をぶち殺してやると言った。その文句もまた気に入らなかったから、私は彼が穴の中から這上がろうとした時に先手を取ってショベルを頭にくらわした。とにかく相手は私より大男なんだから。 「ボッイーン」とショベルが頭にぶち当たると、監督は白眼を剥いて、また穴の底にへたばった。そこで我々は大急ぎで逃げ出し、ヒッチハイクでグラスゴーへ行かざるを得ない破目になったのだ。ジョニーはその途中ずっとウェールズ人の短気さをこぼし続け、背中の筋を違えたからと言って、自分の荷まで私に運ばせた。でも私は、一ヶ月以内にまたカナダへ行くつもりでいたから、そうたいして心配してはいなかった。しかし困ったことに、二人はたちまち金欠になった。ジョニーはぷかぷかやたらに煙草を吹かして、煙草代を費っておいて、食物の代は私に出させようとしたので、私は文句を言った。それでもどうにかこうにか、二人はグラスゴーまでたどり着き、なけなしの二、三ポンドをはたいて、だだっ広い、古ぼけた学生下宿の一室を借りた。 「ここなら仕事はあるさ」とジョニーが言った。私は身体が頑健で、力仕事は平気だから、ドックの仲仕の仕事を探すことにし、ジョニーは車の運転なら大丈夫というので、方々のトラック輸送会社に当たってみた。私たち二人は、どちらも、各業種の労組のことなど聞いたことも、考えたこともない世間知らずだったわけだ。就職はうまくいかなかった。とうとう一週間が過ぎたが、そのおしまいの五日間、我々は、バター抜きのトーストを一日一枚ずつ食べただけであった。二人ともどんどん体重が減って、フラフラになった。 「おい隣の部屋の女の子達のことだがな」とジョニーが肘で私をこづきながら言い出した。 「あいつらボーイフレンドがないらしいぞ。親切にしてやったら、飯を食わせてくれるかもしれん」 彼は私の顔をまじまじと眺めた。 「やれやれ、今までお前がこんなに醜男だとは思わなかった。あご髭でも剃り落としてみたらどうだ」 「嫌だよ」と私は断わった。 「俺はもうすぐ北極圏へ帰るんだ。これは北極探検隊のバッジみたいなもんだ。髭を無くしたら、荒くれ男に見えないじゃないか」 ジョニーはなるほどと納得して、女の子を口説く役は自分が引き受けるほかあるまいと諦めたが、しかし私のネクタイをちょっと貸せと言った。日曜日がきた。ジョニーはそれまでにどうやら女の子の一人と口を聞くところ漕ぎつけ、私のことを、変人の金持ちの作家だと言い、自分の方は、本業はレースの経営者だが、そっちをマネージャーに任せて、私に付き添ってまわって、世話を焼いてやっているのだと吹いた。 「それが友達というものさ」と彼が言うと、その女の子はすっかり感心していたそうだ。とにかく、それで我々二人は「お茶」に招待された。 「あの子たち缶詰の鮭とサラダを食べさせるだろうか?」とジョニーは目をぎらぎらさせながら私に言った。 「それともハムかな。サーディンかな。それにフルーツケーキとタートなんどかな」 我々の腹はグーグー鳴った。四時がきたが、我々は十二時から今や遅しと待ち構えていたのである。 「ええ何てことだ。髪に櫛ぐらいあてろよ。まるで熊か、オランウータンかなんかみてえだぞ」 「ふん、熊に見えようとこっちの勝手だ。でも俺は歯ぎらいは磨いているぞ」と私は負けてなかった。ジョニーは私を睨み返して言った。 「なら歯ブラシを貸してくれよ」 これで二週間の間に十回目である。 「汚ねえ奴だな」と私はあざ笑った。女の子達は本当に気のいいスコットランド娘だったが、少々我々を警戒していたのは無理もないことだった。皆でテーブルを囲んで座りながら、ジョニーは嘘八百のありったけを並べたが、その間じゅう二人とも目の前バターのついたパンの片を、手を伸ばして引ったくりたい誘惑にひたすら耐えていた。それから一人に一つずつ卵が出た。茹で卵がたった一つ。それは天下の珍味のように美味かったが、アッという間に無くなった。我々二人はお互いに顔を見合わせた。決して女の子達がケチだったわけではなく、彼女達も貧乏だったし、そのうえ我々が餓死寸前とは知らなかったのである。「フランス料理で、卵をブランデーとワインなんかで料理するの、あれやったことありますか」とジョニーが聞いた。彼女達はしたことがないと言った。 「何ならやってみせましょうか」 「いえ、いいですわ。私達これから叔母のところへ出かけますから。叔母はいつもどっさり夕飯をご馳走してくれますの」 私はもう少しでうめくところだった。私の胃は空気がいっぱいで、ゲップが出そうでたまらなかった。我々二人の腹は夏山に轟く遠雷のようにゴロゴロ鳴った。その晩ジョニーはベッドの上に伸びて、低い声でうめいていた。二人とも紅茶の飲みすぎで、歩くと水袋を揺さぶるような音がした。私は南へ行って、職を探そうと提案したが、ジョニーはこう弱っていては歩けないから、おぶってくれれば行くと言った。その翌日、私は食糧の調達に出かけた。まず最初に大きな玉葱を一つ盗んだ。いや必ずしも盗んだのではない。物のはずみで、つい玉葱を店台からつき落としてしまって、それからまたやっぱり物のはずみで、足の爪先が当たったものだから、玉葱は溝の中にころがりこんだのである。溝の中に落ちた玉葱はもう売り物にはならないから、私が拾ってやったのだ。実のところは林檎が欲しかったのだが、うまくいかなかった。私は昔から林檎はついていないのだ。それまでに私が盗みの覚えのあるのは林檎泥棒だけだったが、その林檎は青くて食えなかったうえに、林檎園の百姓おやじに散弾銃で背中一面に岩塩を浴びせられた苦い経験があった。こんなにせっぱつまった時でなかったら、玉葱の一件も良心が咎めたろうが、しかしこの際は神様もお目こぼしくださるだろうと私は考えた。私は曲がりくねったグラスゴーの道を歩いて帰りながら、思いは食物のことだけであった。下宿に帰ると、台所の戸棚の中をひっ掻きまわした。前にいた下宿人達がいろんなガラクタと塩と胡椒とトマト・ケチャップとを残していたが、その瓶半分のケチャップは上の方に青カビの層が出来ていた。それから何と半束のスパゲティがあった。玉葱と、トマト・ケチャップと、それからスパゲティ……だが肉がないことには。私は台所口へ行って、ドアの脇の猫の皿を覗いてみた。下宿のおばあさんがよく余り物のチキンの片を飼い猫の皿に入れてやっていることがあったからだ。しかし貪欲、非道、冷血のあん畜生は何もかもペロリと平らげていた。そこには空の皿がころがっているだけだった。ちょうどその瞬間であった。大きな茶色の野良猫が台所にのそのそと入ってきた。それは主のある飼い猫ではないし、私の大嫌いな奴だった。私が前に廊下に置き忘れていたリュックサックに小便をひっかけた犯人だったから。この時の私はただどうにかしてスパゲティ・ミートソースの材料の肉を手に入れたい一心であった。「ニャー」と猫が鳴いた。正直の話、私は敵討ちのつもりなど毛頭なかったのだが、しかしとにかく、思わずパッと手が動いて、傍らの牛乳の空き瓶を掴んで振り上げるが早いか、猫の脳天をガッツーンと殴りつけた。哀れや、猫は台所の床の真ん中に伸びてしまった。おわかりいただけるだろうが、料理人の見地からすれば、猫と兎との間に相違はない。私は猫の皮を剥ぎ、腹を開け、ぶつ切りにして、圧力鍋で煮た。骨を除いて肉だけにすると、若い兎の肉か、鶏肉にちょっと似た白い肉が平皿に山盛りになった。私の凶行の物的証拠はそれから、隣の家の屑缶の中へ消えてしまった。さていよいよ名料理人の腕の振るいどころである。私は玉葱を刻み、ほんのちょっと塩、胡椒をして、油で軽く炒め、それに猫の肉を加え、香料のオリガノ(これも戸棚の隅から見つけ出した)を振りかけた。トマト・ケチャップの青カビの始末はもちろん難問であったが、細工は流々、私は流しの縁で瓶の首を叩き折り、それから茶匙で青カビとガラスの欠片を念入りに取り除いた。もうこれで大丈夫、後は上等のケチャップだけと見極めて、私はそれを、はや美味そうな匂いを漂わせている玉葱と肉の中に注ぎ込んだ。そこへジョニーが入ってきた。彼の視線はソースの鍋と、半束のスパゲティを茹でるために湯気を噴き出しているヤカンとに釘付けになった。 「いつできる?」と彼が尋ねた。しばらくして、二人で食卓に向かい、スパゲティ・ミートソースを貪りながら、ジョニーは山盛りの皿から顔を上げて私を見た。 「お前は全く仕様のない野蛮人のくせに、料理だけは大したもんだ。ところでどこでこんな物を手に入れた?」 「うん、まあ、あちこちでな」と私は彼の皿に気前よくソースを継ぎ足してやりながら答えた。 「むむ」とジョニーは舌つづみを打ちながら、「これでパルメザン・チーズとワインが少々あればなあ……赤のワインが俺の好みだよ、渋味の効いた赤のワインが……」と言った。しかし私は皿の中の肉が猫だとは教えなかった。言わぬが花だと思ったから。〈特選スパゲティ・ミートソース〉 材料 猫(または兎):一匹  玉葱:大一個  トマト・ケチャップ:半瓶  塩、胡椒、オリガノ(有ればニンニクも)  料理法:死んだ猫を用意して、兎の料理の場合と同じように包丁を入れて皮を剥ぐ。終わったならば、身をぶつ切りにして水をたっぷり入れた圧力鍋(もしあれば、月桂樹の葉二枚を加えてもいい)で煮る。塩を加えて、45分間煮る。肉が煮えたら、鍋から出し、汁を棄て、冷水で肉をゆすぐ。次に骨をはずす。猫の肉は柔らかいが、骨は小さいから、気をつけること。特に肋骨と背骨は気をつける。証拠物件を始末する。玉葱を刻み、深目のフライパンで軽く炒める。塩、胡椒(有ればニンニクも加える)を振る。炒め油は植物油なら何でもいい。賽の目に切った肉を入れ、よく掻き混ぜて炒める。最後にオリガノとケチャップを加える。ソースをスパゲティにかけて供する。ただし客に肉の素性は明かさぬこと。 筆者註:以上は猫料理の説明だけであって、料理のため猫殺しが行われても、それは筆者の責任ではないことをお断りしておく。(P285〜P293)

ある時は北極で熊鍋を、またある時は南氷洋上の捕鯨船にて鯨の寿司を、またまたある時にはカナダ西海岸の無人島で牡蠣のピクルスと海胆の酒漬けを、さらにある時には故国イギリスでジプシー(ロマ)族の晩餐におじゃまして謎の泥団子料理を……。地球のいたるところがニコル氏のフィールドであり、キッチンなのではなかろうかと思える興味しんしんの一冊。 (角川文庫)


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C・W・ニコル
1940年イギリスの南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、その後、十数回に及ぶ極地探検に加わる。1967年から2年間、エチオピアで国立公園設立に携わる。沖縄海洋博ではカナダ館副館長を務める。1978年には捕鯨取材のため、1年間和歌山県の太地に滞在。1980年以来、長野県黒姫に住み、作家活動を行う。主な著書に『風を見た少年』(クロスロード) 『C・W・ニコルの青春記』(集英社) 『C・W・ニコルのいただきます』(小学館ライブラリー) 『小さな反逆者』『野生との対話』『魔女の森』(以上講談社) 『勇魚』(文藝春秋社) 『MOGUSわが友モーガス』(小学館)など多数。
posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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