寿司が日本独特の料理だったのは、はるか昔。今や寿司は世界に拡がり“SUSHI”として国際語、国際食となっている。アメリカで、ヨーロッパで、中国で寿司屋はもはや日本人商社マンやツアー客だけのものではなくなり、現地の人々の日常にも深く浸透しているのだとか。寿司母国日本の国民としては、我等が愛して止まない偉大なる食文化の寿司が世界で愛されていることは、とても嬉しく、誇らしく思います。
が、しかし皮肉なことに寿司が国際的人気料理となり、寿司愛好者が急増することで、我々日本人にとって由々しき問題が発生しだした。近年、寿司の中で一番人気の“トロ”になるべきマグロの入手が困難になっているとか。
まあ、考えてみればそれも当然なわけで、寿司が世界に拡がれば、それに比例して寿司ネタとなる魚も国際的に大量消費され、中でも寿司の代名詞と言っては、言い過ぎかもしれないがそれほど寿司ネタとして人気抜群のマグロの激しい争奪戦が起こるのは必然ですわな。
先日、見たテレビ番組では、現在、経済成長著しいと言われている中国の富裕層では、日本食、中でも寿司や刺身の人気がもの凄いとか。ここ数年、何かと反日デモやら、小泉政権以降の日中首脳会談の中断やらで、政治面での関係が冷え込んでいる中国においてすら、こうなのだからマグロの人気恐るべしですな!
しかし、では寿司の国際化において最も貢献してくれた国とは、どこの国でしょうか?私が思うに多分それはアメリカでしょう。無論、私が思うに…であり、異論は多々お有りかもしれませんが、私の考えの根拠は本書を一読していただければご理解いただけると思います。
◎内容抜粋
『日本で修業したアメリカン・ガール』
「日本で修業した白人の女性寿司シェフ」そう書かれた『ザガット』のコメントを読んだ時、最初は「どこかの料理教室で習ったのを大袈裟に言っているだけではないのか」と、とても本気にはできなかった。自分をアピールするためにそれぐらいのことを言うのはアメリカでは普通だし、第一、男社会の日本の寿司職人の世界に外国人女性が受け入れられるわけがない。だが、「修業」の話は真実だった。「同僚達によく、『女は手が温かいから』『力が弱いから』寿司職人には向かない、っていわれた。でも、私はユタみたいな寒いところで生まれ育ったから手は冷たいし、身長だって180センチある。大抵の日本の男より背は高かったし、腕相撲やったって勝てたわよ」 そう明るく笑うのは、ペギー・ホワイティング。「外国人で女性」という二重のハンディを乗り越えた彼女は、今アメリカで最も成功している寿司シェフのひとりである。彼女の店〈一番寿司〉は開店当初から25〜30%という高い利益を出し続け、『ザガット』で四年連続「全米トップテン」に選ばれるほど、高い評価を得ているのだから凄い。着々とキャリアを築いてきたペギーだが、自分は「なんとなく」寿司シェフになったのだという。元々料理は好きだったので、高校時代に同級生の親が経営していた日本食レストランの調理場でアルバイトを始めた。その後、モルモン教の布教で日本に一年滞在し、日本語をマスター。アメリカに帰国してから再び日本食レストランで、「天麩羅シェフ」として働くことになる。彼女が寿司シェフに転身したのは、ただ単に「それまでの日本人寿司シェフが、ビザの関係で帰国しなければならなくなったから」という事情に過ぎない。カウンターで寿司を握り始めた彼女に転機が訪れた。流暢な日本語を喋る白人女性寿司シェフを面白がった日本人の常連客が、「ペギーさん、寿司をやるなら日本で勉強しなさいよ」と、修業先を紹介してくれたのだ。「多分、そのお客さんは修業先にとってもお得意さんで、たとえイヤでも断れなかったんでしょう」とペギーは推測する。東京の赤坂と広尾に店を持つその寿司店で、当時26歳のぺギーは十六ヶ月間修業することになった。だがどのような経緯があったにせよ、彼女がついた親方は「ガイジン」や「女」であることに関係なく、彼女が知りたいことは全て隠さずに教えてくれたという。「親方はまず、経営と技術のどちらを学びたいのか、聞いてくれた。アメリカと日本とではビジネスのやり方が違うし、日本にいられる時間も限られていたから、私はとにかく本場の技術を覚えたかった」というわけで、ぺギーは寿司の基本を徹底的に学び直す。アメリカで5年、寿司シェフとして経験は積んでいたものの、本場での修業はぺギーをさらに成長させた。包丁の研ぎ方から魚の目利きの仕方まで、アメリカでは習うことができなかった知識と技術を得て、ぺギーは「きれいに早く」寿司を作る方法を身につけていく。一方で、「アメリカでは生のアナゴが手に入らないから、アナゴの寿司はどう作ればいいのかは、あえて習わなかった」という合理主義は、いかにもアメリカ人らしい。とはいえ、店の職人全員が親方のように心の広い人物だったわけではない。親方が出かけると、早速「いじめ」が始まった。「カウンターの中で仕事をしている私に、『女はトイレ掃除をしていろ』って。確かに日本では修業は掃除から始まることは知っていたけど、私には五年の実務経験があったわけだし、親方も最初からカウンターに立たせてくれた。それなのに、先輩達は『女は引っ込んでろ』というわけ」 だが、そんないやがらせも長くは続かなかった。ぺギーが働き始めて一ヶ月後、寿司職人が一人辞め、店は人手不足に陥った。実際には寿司を握れるぺギーを、「掃除係」にしておく余裕などなくなってしまったのである。一緒に働くうち、職人達はタフなアメリカン・ガールを認めないわけにはいかなくなっていった。ぺギーはおかしそうに振り返る。「女で、しかもガイジンの私とどう接していいのか、彼等も最初はわからなかったんだと思う。でも、私の前で男同士の卑猥な冗談を言っても大丈夫なんだということがわかってきて、安心したのね」 同僚に受け入れられていくことで、ぺギーが今まで使っていた女言葉も荒っぽい職人口調に変わっていった。寿司屋のカウンターに突然現れたはっぴ姿の金髪美人に客は大喜び、「あの白人のお姉ちゃんに寿司を握ってもらいたい」と指名が相次いだという。アメリカに帰国後、ぺギーは念願の自分の店〈一番寿司〉をオープンさせる。評判が評判を呼び、より広いスペースを求めて二年ごとに引っ越しをしなければならなかったというから、その人気ぶりがわかる。160席のキャパを持つ四軒目の店も、混雑時は二時間待ちの行列ができるほどだ。マネージャーである夫との間に二人の幼子を持つぺギーは、一人何役もこなしながら、忙しくも充実した日々を送っている。常連客のひとりは「ここほど新鮮な魚は他の店では食べられないからね」と笑顔を見せた。だが〈一番寿司〉は、「日本で修業したシェフが本場と同じ寿司を出すから」客に受けたわけではない。確かに週三回空輸で運ばれてくる魚は新鮮だし、ぺギーが作るすっきりとした形の握り寿司は、「日本で修業」の成果を十分にうかがわせてくれる。だが、どちらかというと彼女の真骨頂は、メニューに並ぶ22種類もの創作巻物にある。ホタテサラダ、ウナギ、カニを巻いた寿司を、丸ごと天麩羅の衣をつけて揚げ、ワサビマヨネーズとウナギのたれで食べる「ソンドラズ・シルバー・レーク・ロール」、チリペッパーなどの各種スパイスで辛く味付けしたソフトシェルクラブを巻いた「デス・ロール」、マグロ、マグロのかき身、エビ、カイワレ、トビコを巻いた「ティンパノガス・ロール」……。そしてデザートには「チョコレート・スシ」(チーズケーキにベリー・ソースをトッピングしたものの周りを、チョコレートでくるむ。要するに、見掛けだけ寿司に似せたデザート)も楽しめる。これは「寿司を食べた後にデザートが欲しい」という客のリクエストに応えて、ぺギーが考案したものだ。店のインテリアもまたオリジナリティにあふれている。築100年以上のルーテル教会を改装した〈一番寿司〉の店内には、教会時代のゴシック装飾やステンドグラスがそのまま残り、さらに風水を取り入れて、巨大な鏡と熱帯魚が泳ぐ水槽を持ち込んだ。オーナーシェフとして、カウンターで忙しく立ち働くぺギーの後ろには、色取りどりの箸が並んでいる。常連客は、自分専用の「マイ箸」をそこに取っておいてもらうという趣向だ。「日本で修業した」という経歴から受けるストイックなイメージは〈一番寿司〉に全くといっていいほどみられない。ぺギーはその理由をこう説明する。「うちの店みたいなやり方は、日本の寿司屋なら怒られちゃうだろうけれど、ここはアメリカだからね。もし日本風に握り寿司中心のメニューだったら、生魚が嫌いなお客さんは食べるものがなくなってしまうかもしれないでしょ。うちではカリフォルニア・ロールや創作巻物みたいな、『これなら食べられるかも』っていうバラエティを豊富に揃えて、寿司は初めてという人にも食べてもらえるようにしたい。トラディッショナルな日本風から、アメリカンな巻物もたくさんあって、まさにイースト・ミーツ・ウエストがうちの店の特徴」ちなみに〈一番寿司〉のメニューには「初心者向け」「中級者向け」「上級者向け」のマークがつけられており、それこそ「寿司は初めて」の客でも安心してチョイスできるようになっている。「初心者向け」とされているのは、例えば「カニ足にぎり」「ウナギにぎり」「スモークサーモンにぎり」「エビにぎり」「玉子」「カリフォルニア・ロール」など、生の魚を使っていないものが大半だ。これが「上級者」になると、「サバ」「イクラ」「ウニ」といった具合になる。客の食べる様子を見ていると、アメリカンな巻物の注文も多いが、カウンターで刺身や握り寿司に箸を伸ばす人も少なくはない。とはいっても、そこはアメリカ、自分流にウナギのたれと醤油を混ぜ合わせて、そこに寿司をつけて食べているツワモノもいる。それについて尋ねると、「お客さんが好きなように食べればいい」と、お馴染のセリフがぺギーからも返ってきた。「日本ではどうなのか」と聞かれれば答えるし、機会を見つけては「こんなのも好きなんじゃない?」と色々な寿司をすすめるようにはしている。だが、日本のやり方は知ってはいても、ぺギーはそれを客に押し付けはしない。「実際の話、うちのお客さんはどんどん進歩していってる。15年前に店を開いた頃は、カリフォルニア・ロールしか食べてもらえなかった。それが段々お客さん達もウナギに手が伸びるようになって、今じゃ生魚の握りや刺身も食べるようになったんだもの」客がどんなものを欲しているのかを聞く耳を持つぺギーの創作寿司の多くは、客のリクエストに応じて工夫し、生み出されてきたものだ。また〈一番寿司〉では年に一度、常連客を招いて無料で食べ放題パーティを開く。本場仕込みの技術もさることながら、そうした顧客を大切にする姿勢がぺギーの成功の秘訣といえるだろう。「でも、それも親方から教わったこと」と、ぺギーは打ち明けた。「親方は、『大事なのはお客様を喜ばせること』と繰り返し言っていた。私はそれを守っているだけ」(P132〜P140)
ちなみに私が小学生の頃。誕生日になると。バースディケーキではなく、親父とお袋の手製の握り寿司でした。親父、お袋とも、別に寿司職人でも板前でもなく、握りは自己流で、ネタも近所の魚屋で買ってきたマグロの赤身とイカだけで、本職の握る寿司とは比べ物にならなかった筈ですが、いまになってしっかり自分の舌に記憶されているのは、親父とお袋が握った寿司なんですな。もちろん技術やネタの良し悪しは重要ですが。やはり一番は心ですな。 〔集英社新書〕

加藤 裕子
1970年生まれ。生活文化ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、女性誌の編集者を経て、99年フリーランスに。同年渡米。The Vegetarian Resource Group(メリーランド州)に籍を置き、アメリカのベジタリアン事情、食生活・健康志向などをテーマに取材、帰国後は日米のメディアで活動している。著書『コンビニ裏ワザ料理レシピ集』など。


