2006年07月31日

格闘技の文化史 著者・松浪健四郎

◎当ブログ管理人が奨める読みどころ

【相撲は遊牧民の平和外交の“大使”だった】
モンゴルでは古来より“もののふの三つの技”が重視されてきた。その技術を身にまとわないことには勇健な男子としての評価を受けることができなかったのである。“もののふの三つの技”とは、相撲、馬術、弓術。騎馬民族、遊牧民族であるならば、どうしても身につけておかねばならなかった「三種の技術」であった。素手で格闘し、己の技と力だけが勝負の相撲、馬が主人公でありながらも、その馬に関係するすべての細かい知識をもち、上手に操る馬術。この二つは動的活動で、スピードと瞬発力、それに勇気が問われる。他方、弓術は、動に対して静的活動で、矢を放つ瞬間のタイミングが決め手となろう。が、昔の弓は騎上からのもので、馬と弓は一つの技術でもあった。これらの技術は、モンゴルの戦士としての不可欠なものというより、遊牧生活を営む民族にとっては、防衛上、重要な技術だった。そこで中央アジアの各国、ソ連の中央アジア各地にまで、なぜモンゴル相撲と酷似する格闘技が現存するのかを考えたとき、相撲がはたして武力としての役目をなし得ていたかどうかを吟味してみる必要がある。モンゴル相撲は、遊戯性に富んだ“力くらべ”から派生し、発展した宗教性をも含む格闘技で相手にダメージを負わせるためのものではない、と断定できる。なるほど、この練磨を積むことによって見事な精神力は涵養できたであろうとも、戦争のために直接役立つ武術であったとは考えがたいのだ。なによりも、中央アジアの戦争は重装騎馬戦が主力であって、悠長に一対一の相撲術、格闘技を武力としたとは思われない。また、あの荒漠とした、荒涼とした地域を歩いたり、格闘したりして移動できたとも考えられないであろう。後のペルシャ時代、代表者が一対一の決定戦的な趣の戦争が出現したが、それまでは騎馬戦がすべてであったと理解してよい。古代ペルシャ文化圏で盛んに行われ、現在も伝えられるペルシャン騎士(パフレヴァーン)の養成場たる「ズルハネ」(力の家)での身体トレーニングは、あきらかに武術、敵にダメージを負わせるためのものだ。弓、剣、金剛杵、そして鉾と楯をいかに力強く華麗に使いこなすかの、熟練度を増すためのトレーニングといえる。一般的にこれらは「コシティ」と呼ばれているが、その語源はペルシャ語の「闘う」である。その「闘う」は素手の格闘技も指すが、元々は武器を用いての「闘う」ことを意味していたようだ。しかし現代イラン人達は、素手(組討ち)の格闘技を含むすべての闘いの身体文化を、「コシティ」と呼称している。そのわけは、現在、彼等は武器を用いての競技をもたないからであるのかもしれない。その真意はさておき、イラン人の興じる相撲(コシティ)は、インド相撲と同様、ルール、技術ともに不思議なくらいモンゴル相撲(ボフ)と似ているのである。どうみても、それは武術としての格闘技ではない。“力くらべ”“腕くらべ”の格闘技であって、スポーツのための相撲だったと推考できるものだ。各地の遊牧民達が、あちこちのオアシスで、またはキャラバンサライで、友好を深める一つの方法として興じた相撲こそが、モンゴル相撲とよく似た彼等の相撲であろう。平和的に競うためには、当然ながら同じルールが要求されたに違いない。ならば単純なルールこそが明快であったろう。この広大な地域で、モンゴル相撲とほぼ同じ相撲が行われた背景には、モンゴル人の強大な権力と、相撲こそが最大の娯楽としていたこと、加えて平和的な身体文化財であったからであろう。相撲の普及こそが、遊牧騎馬民族達の知恵だったのではあるまいか。(P135〜P138)

【お釈迦様は力士!その実力で結婚した】
仏教彫刻の中に相撲図が登場するのは、それほど奇妙なことでも、珍しいことでもない。「相撲」なる語は、そもそもインドで誕生したもので、法華経安楽品に「相奴」「相撲」等に相当する字が見られる。これは漢字に訳された際の表現ではあるが、この漢訳の法華経に用いられた「相撲」の字が、後世、日本においても広く使われ、定着したものだ。そして、仏典の中に、悉多太子の弟、難陀太子は調達と相撲したとある。悉多太子とは釈尊(釈迦)の幼名だが、釈尊自身も相撲を取ったとも伝えれている。紀元前五世紀頃から古代インド社会では“争婚”によって結婚が行われた。その“争婚”に用いられたのはいうまでもなく「相撲」であった。相撲は重要な儀式であったばかりか、大きな手段となっていたのである。尤も、当時、インドで行われていた相撲が、どのような儀式の相撲であったのかは明らかではないが、『日本相撲史』(横山健堂著)によると、それは拳を用いて突く拳法のようなものではなかったかという。しかし、ペシャワール博物館に陳列されている片岩の「相撲図」を観察する限り、そのような荒々しい相撲だったとは推考しがたい。むしろ今日ね我が国の相撲に酷似する身体文化だったと推察できるのである。いずれにせよ、古代インドでは好きな女性と結婚するにあたっては、ライバルと相撲を取り、その勝負に勝利せねばならなかった。それが“争婚”なのである。当時のインドはバラモン教の強固な支配下にあり、人々はカースト制度のもと、その殻を破ることはできないでいた。釈尊は、その身分制度たるカースト制度に疑問を感じ、自らの宗教を布教しようとしたし、同時期にはジャイナ教の萌芽もみられた。いずれもバラモン教の優れた教義を吸収したにつけても、人々を強烈に枠組みの中に押しとどめるカースト制の不合理性を訴えるものであった。“争婚”も、カースト制度を砕くための一つの手段・方法であったのかもしれないが、それに相撲が利用されたわけである。相撲の強弱が、古代インド人の人生を左右するほどの時代が存在したというのは愉快ではあるが、人間の身体機能、スポーツの強弱で人生の一面を決したというのは、あまりにも人間性無視の無謀な策ではなかったろうか。つまり、この思考では勝利至上主義、英雄主義が台頭し、弱肉強食の土壌を容認することにつながろう。それでも、生まれながらにして人物の格が定められていたカースト制度よりは、人々にとっては歓迎すべきものであったかもしれない。努力や向上心を認めないカースト制度は、やはり権力者側だけに有力な制度で、人々の活力を奪い取っていた。現在のスーダンに住むヌバ族達の社会では、レスリングの腕前がある程度の域にまで達しないことには大人として認知されないばかりか、その実力が人格と同様に扱われている。格闘技強者が優遇される社会で、その序列によって社会が構成されているともいう。古代インドの“争婚”と重ねてヌバ族社会を考えてみると、やはり人間には、「強者崇拝」の心理が宿っているといえる。さて、釈尊自身も“争婚”によってヤショーダラ姫をめとったともつたえられているから、相撲の強さはある意味での権威を誇っていたと解釈できようか。おそらく、その相撲に宗教性が認められなくとも、強さそのものに崇高さがあり、聖なるものと考えられていたのであろう。だとしたなら、強さそのものが宗教的であり、いわゆるシャーマニズム的な色彩とは異なり、相撲の勝敗に宗教性を認めるものであったと想像することができようか。それにしても、お釈迦様が、マワシを締めて相撲をとっていたというのは愉快な話であろう。仏教と相撲、その関係はおもしろい。(P145〜P148)

格闘技から歴史と文化と精神世界を学ぶ事が出来る一冊です。(ベースボール・マガジン社)



目次
『元来、格闘技は「遊戯」だった』『「神」がデザインした肉体』『格闘技は“武術”にあらず』『美と神を結んだギリシャの格闘技』『強さと美を同一視。ギリシャの格闘技』『スポーツの政治利用は古代オリンピックから』『古代オリンピックは文化をもたらす集会』『勝利至上主義政策と英雄崇拝社会の誕生』『英雄は“お祭り”の旗手。神が英雄を規定した』『愛国心を向上させる道具となった格闘技』『格闘者の新魅力は勝敗を無視した心身』『各地への格闘技伝播それは教育的な役割』『格闘技・スポーツはいつの世にも活力源』『スターやヒーローは民衆を代表する旗手』『モンゴル相撲には遊牧民族の伝統あり』『古いモンゴル相撲は格闘技の一つの源流』『神聖な身体文化は世界中で格闘技だけ』『モンゴルや日本では格闘強者は神なのだ』『格闘技は精神向上の世界最古のスポーツ』『日本の相撲は尻を出し外国の相撲は尻を隠す』『仏教修行の一手段は教育効果の高い相撲』『「シルクロード」は「格闘技ロード」だ』『格闘技における音楽、それは神聖さの証明』『強さを金銭に換算してみたいという格闘家の本能』『宗教・信仰死すとも格闘技文化は死なず』『格闘技文化は民族の文化を投影する』『相撲のもつ神秘性は神事からくる尊厳さ』『豊穣さを表現する肥満体崇拝の思想』『力士のパワーが示す豊穣儀礼と服属儀礼』『わが国民の身体観は巨体信仰と巨体崇拝』『相撲は様式化された王権儀礼の身体文化』『農耕文化の延長上に相撲の諸儀式がある』『神事相撲は地方行事、相撲の近代化は娯楽』他多数

松浪 健四郎
1946年、大阪府泉佐野市生まれ。東ミシガン大学に2年間留学後、日体大卒業。日大大学院博士課程修了(西洋体育・スポーツ史)。東海大学講師を経て、1975年より3年間、国際交流基金を受けてアフガニスタン国立カブール大学で体育学の指導と研究に従事する。学生時代はレスラーとして活躍。全日本学生、全日本社会人、全米選手権大会等で優勝。アジア大会、世界選手権大会等の日本代表選手兼コーチ。日本体育協会オリンピック・コーチ、国際アマチュアレスリング連盟アジア地区普及コーチ、専修大学教授等を歴任。著書に『アフガン褐色の日々』『シルクロードを駆ける』『おもしろスポーツ史』『身体観の研究』『格闘技バイブル』『古代文化とスポーツ文化』等多数あり。
posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 騎馬戦騎馬戦(きばせん)とは、ウマに乗った武士(騎馬武者)や騎士同士の戦い。運動会などで騎馬戦を模した競技が行われることが多い。競技としての騎馬戦概要通常4名で構成された組を騎馬とし、これを複数擁する..
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