2011年04月05日

セーラが町にやってきた 著者/清野 由美

昨日の続き

その枡一は、宝暦五年(1755年)の創業以来、「白金」「桜川」というふたつの銘柄を看板にしてきた。

だが、戦争を機にこれらの製造は徐々に打ち切られ、戦後から四十年間は、親戚の蔵元六社で共同生産するブランド「雲山」を造り続けることで、昭和の時代を生き長らえていた。

(中略)

蔵部が開業するにあたっては、蔵部に相応しい新銘柄が必要なのは明らかだった。

当初計画の十倍以上の投資事業に膨れ上がった経緯の間には、市村次夫自身も不安を覚えることがあったが、「これは枡一の第二の創業なのだ」と、思い直してから腹が据わった。

実際、完成に至った蔵部の建物を目の当たりにすると、セーラの主張した到達点の確かさは、ひしひしと我が身に伝わってきた。

そして第二の創業であればこそ、新銘柄の開発にも胸が高鳴った。

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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