2011年04月04日

セーラが町にやってきた 著者/清野 由美

昨日の続き

『ブームの大吟醸ではなく、オトーサンが喜ぶ酒を造りたい』

蔵部プロジェクト(山口注:長野冬季五輪でアン王女と英国選手団の激励会に使った古い酒蔵を、和食レストランとして正式オープンするプロジェクト)の最中にあった97年の冬に、セーラはこの蔵独自の銘柄酒を新たに造り出す計画にも着手した。

利き酒師の勉強をしたことで、この時点でセーラの日本酒についての知識と造詣は、その辺の日本人よりも遥かに深いものになっていた。

しかもセーラが詳しいのは酒だけではなかった。枡一の専務取締役、市村憲彦は、ある時、枡一の店頭で客が発した質問に、そこにいたセーラがすぐさま反応した光景を覚えている。

「『なぜ高井鴻山の子孫なのに市村さんと言うのですか』(山口注:高井鴻山=晩年の葛飾北斎を支えたパトロン)とお客様が聞いてらしたんです。高井姓というのは、鴻山の二代前の当主が、天明の飢饉の際に米蔵を村人に開放したうえで献金した功績で幕府から賜った姓で、一族の本来の姓は市村なんです。それを私が話そうとしたら、横にいたセーラさんがパパッと説明しましてね。彼女の頭の中には、日本の歴史、小布施と市村家の歴史がちゃんと入っているんだ、と感心したことがありますよ」セーラにとっては枡一とは、彼女が最も心ひかれる江戸時代の生活文化を象徴する存在だった。

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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