2011年03月24日

セーラが町にやってきた 著者/清野 由美

昨日の続き

『海外で評価が高い北斎の価値に、当の小布施が気付いていない。なんてもったいない……』

江戸時代の浮世絵を、世界的な芸術として評価、再発見したのは、当の日本人ではなく欧米人だったことは周知のことである。

もちろん日本人なら北斎、広重、写楽といった名を知らないわけではないが、それでも現在に至るまで浮世絵への評価、研究は残念ながら欧米の方が先を行っている。

とりわけその差が現れているのは、大学教育の現場ではないだろうか。

日本の大学で浮世絵の知識を必須科目と考えているところがどれほどあるか知らないが、セーラによるとアメリカの大学では、学生の教養として「HOKUSAI」や「HIROSHIGE」の名前は当たり前に浸透していたという。

「そのなかでも北斎は格別なのです。『赤富士』『神奈川沖浪裏』……。日本人がルノアールの絵馴染みがあるように、アメリカの学生はみなそれらの絵を知っています。知っているだけでなく、高く評価し尊敬しているんです」小布施は、江戸期に九十歳という驚異的な寿命を全うした北斎が、最晩年にたびたび逗留し、深い絆を結んだ土地である。

その北斎が地域に残した貴重な肉筆画を中心に、「北斎館」は1976年に開館した。

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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