2011年02月18日

塩の文明誌〜人と環境をめぐる5000年 著者/佐藤 洋一郎

昨日の続き

『東西「塩の道」』

日本列島では内陸部には岩塩などの塩場は無いと先に書いた。野生動物にとって、温泉が一種の塩場となっているのではないかという可能性を指摘したが、これは人間にとっては全く不十分である。

したがって、塩は海沿いの土地で生産し、内陸部に運ぶよりなかった。

そもそも海と内陸部の間の交易は古くから行われていた。

縄文時代には、八ヶ岳山麓で生産された鏃などの原料になる堅い石材サヌカイトが伊豆諸島にまで伝えられていたり、三内丸山遺跡で出土した「けつ状耳飾り(山口注:「けつ」の漢字は、王の偏に夬)」と呼ばれる独特の形をした耳飾りが大陸から伝わっていたことなど、私たちの常識を超えた範囲で物と人が移動していたことが知られている。

塩もまた、生活に必須の物質のひとつとして海沿いから内陸へと運ばれていたものと思われる。

こうした塩を中心とした交易路を、宮本常一は「塩の道」と呼んだのだ。

塩の道は、当然のことながら、とくに内陸に発達した。

宮本はその幾つかを、同名の書の中で紹介している。

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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