2011年02月11日

塩の文明誌〜人と環境をめぐる5000年 著者/佐藤 洋一郎

昨日の続き

日本では古くから、塩田での塩の生産が盛んであった。

しかし塩田が登場したのは律令時代頃のことで、それまでは海水を直接煮詰めたり、あるいは藻塩といって海藻などを焼いて塩をとっていたようである。

「来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」百人一首にも選ばれた藤原定家(のちの権中納言定家)になるこの一首にも詠まれているように、藻塩を焼く作業は古くからの製塩技術のひとつとして定着していたと見てよいだろう。

あらためて書くと、藻塩とは、塩がたっぷりとついた海草のことである。

天日でいったん乾燥させた海草には、塩が吹き出す。

これに海水をかけると、さらに多くの塩を得ることができるという「発明」品である。

使う際は藻を焼き、できた灰を水に溶いてさらに煮詰めることで塩を取ったのではないかとも言われている。

ここから先は私の想像に過ぎないが、藻は必ずしも焼かなくともよかったのではないだろうか。

例えば、土器にはいろいろな食材を入れて煮るときに、この藻を適量いれれば塩味はちゃんとつくだろう。

ありあまりものに囲まれ、しかもそれらが全て精製されている現代に住む私たちには、食塩といえば塩化ナトリウム99パーセントの精製塩、砂糖といえば白砂糖というのが当たり前になっている。

しかしこんな純製品が自由に手に入るようになったのはごく最近のことである。

それ以前の時代には、塩分を多量に含むものこそが、食塩としての機能をはたしていたと考えて相違あるまい。(P16〜P18)

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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