2011年01月01日

有坂銃―日露戦争の本当の勝因 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

『武家精神はいかに滅びたか』

鳥羽伏見における徳川武士団の行動を寸評するなら、それは権力を権利と混同した典型的な平和ボケであった。

江戸時代の武家は、他のどの階層よりも自由であったが、その自由とは、源平以来、武士がその一身を挺して戦いとってきた「血の貯金」に他ならない。自ら生命を捨てる覚悟まであって、はじめて武士は、百姓町人公家坊主その他には持ち得ない、人生を選びとる自由を謳歌できたのである。

ところが徳川武士団は、いつのまにか、武家の自由も朝廷から与えられるものと考えるようになった。

与えられた自由で満足するようになったとき、彼らは武士ではなくなった。

朱子学の指針と枠組みで陶冶された武士が、次世代の武士を薫育するようになったとき、徳川時代の武士は、遂に武士ではないものになったのである。

そのようにしてとっくの昔に武士であることを抛擲してしまった徳川将軍が、自ら一身を挺して人生の最大の自由を獲得せんと刃向かってくる薩長軍に、どうして対等の交渉を強要できたであろう。

戦わないことにした人間には、人から与えられた自由で満足する自由しか持てない。

それは先の敗戦を「無条件降伏」と考える戦後日本人とて同じだ。(P171・P172)〔四谷ラウンド/文庫版:光人社NF文庫〕



兵頭 二十八
昭和35(1960)年長野県生まれ。陸上自衛隊勤務後、昭和63年神奈川大学英語英文科卒。雑誌記者を経てライターに。『軍学孝』『たんたんたたた 機関銃と近代日本』『予言日支宗教戦争』など著書多数。
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