2010年12月28日

有坂銃―日露戦争の本当の勝因 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

『ライフルこそ野戦の勝因』

(前半略)

さて、奉天会戦における日露両軍の主力歩兵銃を比べると、射距離500mでの「最高弾道点」は、三十年式歩兵銃が1・20m、ロシアの1891年式歩兵銃は1・45mであった。

日本軍は銃弾の低伸性、すなわち命中確率で、勝っていたことが分かるだろう。

参考までに、ドイツ軍の最新型である1898式ライフルから1988式蛋形弾を発射した場合の500mでの最高弾道点は1・5m。

有坂銃は、日露戦争の時点においては、文字通り世界一「ハズレ」の少ない銃であった。

有坂銃に先行する6・5ミリ銃で、有坂が当然参考にしたであろうイタリア軍の1891年式小銃は、小口径弾のメリットを活かしきっていなかった。

射距離500mでの最高弾道点が、2・01mにもなっていたのである。

つまり、弾道の途中で敵歩兵の頭を飛び越えてしまう。

だからもし、有坂がイタリア小銃など外国製品の単純なコピーやコンピレーションをしていたなら、日露戦争は野砲でも小銃でも日本の惨敗となっていたことは十分に考えられる。

有坂は、イタリアの6・5ミリ弾よりも装薬を0・12グラム増やした。また、イタリアの6・5ミリ小銃よりも銃身を10センチ長くした。

この「贅沢」を敢えてしたことによっと、無煙火薬の燃焼ガスの膨張がそれだけ銃弾を敢えて加速できるようになり、有坂銃は弾道特性でロシア軍の7・62ミリ小銃を凌げることになったのである。

貫通力でも、たとえば明治29年の12月と明治30年の6月に実施した比較テストでは、有坂銃の6・5ミリ弾は、スペイン軍制式の7・0ミリ弾を上回った。

以上の考察を敷延してみると、おそらく、鴨緑江以降の南満州平野における野戦は、次のような共通の経過があったのではあるまいか。

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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