2010年12月27日

有坂銃―日露戦争の本当の勝因 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

『陸軍を41年間支えた実包』

弓矢と違い、鉄砲の銃丸は拾い集められず、火薬は煙となって消えてしまう。

この二大消耗物資を、敵よりも多く領内で生産させ、あるいは海外から輸入できた領主が、戦国時代に覇を唱えることができた。

西南戦争では、西洋の後装式ライフルを大々的に投入したことから、銃弾の発射速度が戊辰戦争以前とは桁違いに増えた。

官軍がこの内戦に勝利するためには、連日数十万発の小銃実包を補給し、消費しなければならなかった。

日清戦争では、日本軍は単発の十八年式村田銃で、5連発のGew88に勝っている。

後備師団に至っては、スナイドル銃で戦うつもりだった。

しかしロシア兵が相手ではそうもいかない。

当然こちらも5連発の有坂銃をもって臨むとすれば、その弾薬消費量の見積もりを、予めしておくべきであった。

これは、西南戦争の貴重な教訓だった。

有坂銃が6・5ミリという小口径を採用したことで、鉛資源と銅資源の節用が可能になった。

口径7・62ミリのロシアの1891年式ライフルが使用する実包は、全軍が25・8グラム、うち、弾頭が13・7グラムである。

日露戦争では、案の定、一会戦での小銃弾の消費は数先発にもなった。

口径にして1・12ミリの差が日本軍の弾薬補給をロシア軍に比してどれほど楽にしたか、計り知れないものがあった。

6・5ミリの三十年式小銃実包こそは、近代的な「大量生産戦争」のための武器・弾薬の設計法を理解して実践した、最初の日本オリジナル弾薬であったと私は認識している。

この6・5ミリ小銃弾は、三八式小銃にも受け継がれる。シベリア出兵から満州事変、支那事変を経て対英米戦争まで、貧乏な日本陸軍が作戦を続けられた秘密は、有坂銃の口径6・5ミリの選択にあった。(後半略:P88・P89)

明日へ続く


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