2010年12月26日

有坂銃―日露戦争の本当の勝因 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

過去のフランス軍の経験でも、「清仏戦争」で銃剣を使ったことは一度もなく、普仏戦争では一回だけ、フランス軍歩兵が銃剣を使用する機会があったといわれる(普仏とも槍を主兵器とした騎兵部隊は別)。

そして日清戦争では、清国兵は、ほとんど七珊野山砲の榴霰弾射撃で駆逐されてしまった。

十八年式村田歩兵銃(単発銃)を持った日本兵が小銃射距離に近付いてもなお陣地を捨てずに反撃するような清国兵は稀であった。

いわんや錦絵に描かれているような両軍白刃を揮っての激突などが生じたことはない。

後章でも説明するが、戦前日本陸軍のひとつの象徴となった三十八年式歩兵銃は、三十年式歩兵銃の機関部だけを改修したものに過ぎない。

銃剣もまた三十年式銃剣がそのまま流用されているので、当然のこと、剣付き全長も剣なし全長も、三十八年式小銃は三十年式歩兵銃と寸分違わない。

そして三十年式小銃の本体の長さは、6・5ミリ弾で必要な低伸弾道を得るための銃身長を求めた結果として、必然的に定まったものであった。

またその重さ3・9キログラムも、日本人の肩に発砲時の痛いショックがほとんどかからないようにして、あたかも射的遊戯のような冷静な狙撃ができるように配慮したものだった。

弾丸をより遠くに正確に当てるために必要な長さであり、重さだったのである。

それなのに、どうして三十八年式歩兵銃を指して「白兵戦重視の現れ」などと潮弄できるのだろうか。(P84〜P87)

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/174339516
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
宜しければクリックを、人気blogランキングへ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。