2010年12月22日

有坂銃―日露戦争の本当の勝因 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

1903年にそれをモーゼル・アクションのスプリングフィールド銃で更新したときにも、米国は口径はそのままにした。おかげで、この7・62ミリという口径が、第二次大戦後の長い間、アメリカ及びソ連の同盟国の標準口径になった。

自衛隊にまだ多数残る64式小銃が7・62ミリである理由も、この時に遡る。

ロシアの7・62ミリ弾は、国がソ連と変わっても使われ続けた。

第二次大戦末まで、この1891式ライフルと基本的に変わらない槓桿式小銃がソ連軍の主幹小銃だったのである。

戦後の日本においては、旧軍については調査に基づかぬ批判も許される風潮が生じ、たとえば三十八年式歩兵銃の制定年が日露戦争の終わった年であることをもって軽忽に旧軍の旧式ぶりを誇張する論評がまかり通っている。

有名な論者としては、故・司馬遼太郎を挙げることができるだろう。

しかしこのソ連に限らず、ドイツ軍やイギリス軍も、主力小銃は、日露戦争以前に設計が確定した槓桿式であった。

アメリカ陸軍や海兵隊も、日米開戦時に太平洋に駐留していた部隊の小銃は、日露戦争前年採用のスプリングフィールド1903年式である。

こと旧軍の小銃と戦車に関する限り、司馬遼太郎氏こそが「自虐史観」の権威ある発信源となっている。(P83・P84)

明日へ続く


posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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