2010年12月20日

有坂銃―日露戦争の本当の勝因 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

明治27(1894)年8月、兵器本廠は、ドイツ1888歩兵銃、オランダ1892「マンリッヘユール」、ベルギー1889歩兵銃、オーストリー1888「マンリッフエール」、スイス1889歩兵銃、1892「マウゼル」歩兵銃を、戸山学校へ支給した。また砲兵学校にはその弾薬を渡したと記録に見える。

このうち、オランダ軍の「1892」年式は、どの銃器解説書にも載っていない。

おそらく1895年式小銃のプロトタイプなのだろう。そう考える根拠は、『偕行社記事』が、明治26(1893)年3月にオランダで、6・5ミリ弾でも馬を斃せるとの実験リポートがあったことを伝えているからだ。

1895年式は、6・5ミリである。

(中略)

明治28年から翌年にかけては、海外の実戦場で、小口径弾の威力不足に兵士逹が不満との噂が届いてくる。

1895年3月から1896年まで続いたイタリア・エチオピア(アビシニア)戦争では、戦闘の最終局面になって、例の6・5ミリの新小銃、カルカノ1891年式が戦地に届けられた。

この銃は、ベルギーの1889年式を参考にして設計され、1892年に採用されたていたが、支給は遅れていたようだ。

イ・エ戦争と前後して、英国陸軍も、インド北西部チトラールやスーダンなどで、新開発の口径7・7ミリのリー・メトフォード銃(採用は1891年)を初使用している。

明日へ続く


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