2010年07月26日

極東の島国が守った地中海〜第一次世界大戦と日本軍 著者/兵頭二十八

昨日の続き

『死闘の続く地中海』

1917年6月9日にフランスの帆船を血祭りにあげたオーストリア潜水艦『U27』は、同月11日、我が『榊』と『松』が2隻だけで航行しているのに出会った。

狙いすまして放たれた一本の魚雷は『榊』を捉え、艦長以下59名が戦死する。

『榊』は駆けつけた英艦に曳航・救助された。このとき僚艦の『松』は、マルタ島で受領した英国製の爆雷(重さ180s、炸薬135s)を、初めて艦尾から実戦投下した。

なお一部の英文サイトでは『榊』は“Lost”(撃沈された)と書いてあるのだけれども、もちろん誤りで、『榊』は現地で修理され完全復帰。

ドイツ降伏後に日本へ凱旋している。

恐るべき『U27』は翌1918年5月14日に、英国駆逐艦『フェニックス』を撃沈(機関兵2名戦死)するなど暴れまわった挙句、1919年にポラ軍港でイタリアの接収するところとなって、解体処分された。

『榊』が大破した翌日(6月12日)、駆逐艦『梅』は、僚艦の『楠』とともに、英国の兵員輸送船『アラゴン』を護衛中、敵潜の存在に気付き、爆雷を投下した。

当日、もしくはその前後に、地中海で沈んだという独墺潜水艦の記録は無い(1917年5月16日にオーストリアのU5、24日にドイツのU88、次いで12月14日にドイツのU78、そして1918年2月21日にオーストリアのU23が、それぞれ喪失している)。

Uボートは、重油やゴミを放出して沈没したと錯覚させる手をよく使った。(P48)

明日へ続く
posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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