2010年06月17日

ニッポン人の良いとこ、悪いとこ―世界の文明人が驚いた! 著者/びっくりデータ情報部

昨日の続き

後年、ダンは「妻によって日本の最も美しい部分を知った」と述べている。

ツルが献身的にダンに尽くしたことに理想の女性像を見出したのだろう。

それだけではない。

外交官として東京に赴任した際、ダンは鹿鳴館での舞踏会などに出席する必要に迫られた。

このときも、舞踏会の花形であった婦人連のなかで、ダンに帯同したツルが活躍。

社交界で友人を数多くつくり、ダンが日本の社交界に溶けこむのを手助けした。

ところが1881(明治14)年、心の支えであったツルが病のために急逝してしまう。

ダンは失意に打ちのめされた。

一時は日本での職を捨て、アメリカに帰国することすら考えたほどだった。

しかし、やがて心の傷が癒されると元旗本の娘マヤと再婚。

その後、四人の子供をもうけ、日本に骨を埋める決意を固める。

ダンは日本人女性を愛しただけでなく、日本人の特性に深い理解を示した。

たとえば、日本がアメリカの政治的・経済的・社会的な制度を導入することに反対し、「日本人は日本人として前進しなければならない」と警告している。

そして、当時の日本人が譲歩に譲歩を重ねて外国人を喜ばせ、それによって新時代を築こうとしていることを危惧した。

日本を大切に思い、妻を心の底から愛したダンは1931(昭和6)年にこの世を去る。

遺骨は最初の妻ツルが眠る青山の墓地に埋葬された。最後まで日本人女性に好意を寄せた生涯だった。(P178〜P182)

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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