2010年06月14日

ニッポン人の良いとこ、悪いとこ―世界の文明人が驚いた! 著者/びっくりデータ情報部

昨日の続き

『フランス人作家に酷評された日本の洋風もどき』

明治時代の半ば、日本は幕末以来の不平等条約を改正するため、自国が欧米並みの先進国であることをアピールするのに躍起になっていた。

洋式の接待を行い、日本を侮る西洋諸国の認識を改めさせようとしたのだ。

その日本の努力の結晶とでもいえるのが洋風建築の社交クラブ「鹿鳴館」だろう。

1883(明治16)年11月末に建設されたこの建物では、政府主催のダンスパーティや音楽会が夜な夜な開かれたほか、カルタ、ビリヤードなどの賭博が公然と開催されていた。

日本の貴族たちは、ヤンソンという教師についてダンスを練習した。

しかし、彼らは西洋のマナーやルールをきちんと理解しないまま、うわべだけ西洋風に着飾ったので、西欧諸国の外交官たちは陰で日本人を嘲笑していたという。

フランスの小説家で海軍士官のピエール・ロティは、鹿鳴館で出会ったそんな日本人女性について、小説『江戸の舞踏会』のなかで少々辛辣に書いている。

たとえば、「舞踏会に集まった女性たちはみな顔つきが同じで、澄ましこんだよそ行きの様子をしている。

日本人らしく愛くるしい表情をすればいいのに……」といった具合だ。

また、「日本女性の手は惚れ惚れするほど美しいが、足は内側に曲がっていて不恰好」とも述べている。

ロティは踊りに関しても批判的だった。

同書には「日本人女性は正確に踊る。

だが、それは教え込まれたもので、個性も独創性もなく、自動人形のように踊っているだけ」とある。ダンスの本場、フランス生まれのロティだけに日本人に対しても手厳しかった。(P168・P169)

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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