2010年06月11日

ニッポン人の良いとこ、悪いとこ―世界の文明人が驚いた! 著者/びっくりデータ情報部

昨日の続き

しかし、何とか入国はしたものの、個人的な研究を目的とした外出など認められるはずもなく、小さな島のなかから出られずにいた。

それほど難しい環境にあっても、ツュンベリーは諦めなかった。

様々な策を講じて目的を果たそうとしたのである。

たとえば、治療に使う薬草を採集するのだと偽って外出許可を取ったり、家畜の飼料をあさったり、通訳に頼んだりして、ひたすら植物を集めた。

また、江戸に向かう途中、山道で苦労する駕籠かきをねぎらうふりをして外に出て、道の脇の崖をよじ登って植物を採ったこともあった。

こうして採集した植物の標本をもとに、ツュンベリーは『日本植物誌』を出版したのだが、そこにはなんと800種を超える植物の記事が掲載されている。

厳しい制約のなかで活動せざるを得なかったことを考えると、彼の執念の賜物といえよう。

『鎖国は自由を保つ措置』

ツュンベリーは本質を見通す有能な学者の目で日本を見ていた。

それは、彼の著書『江戸参府随行記』を見ても明らかだ。

このなかでツュンベリーは鎖国について言及している。彼にとって鎖国は、自由な標本採集を妨げた憎き制度である。

しかし、「他国に侵されたり、搾取されたりせずに自由を守るための比類ない措置」と一定の理解を示している。

しかも、「国内では法律により自由と権利が守られていて、主に服従する武士も作男も一般的に思われているような専制政治化の奴隷ではない」と日本の社会を評価しているのだ。

自然を愛する優しい性格ゆえ、こうした寛容な心をもつことができたのかもしれない。

ちなみに、ツュンベリーは江戸で蘭方医の杉田玄白や、玄白とともに『解体新書』の邦訳に関わった桂川甫周、中川淳庵らと親交を結び、医学の発展にも貢献した。

植物学、医学ともに、彼が日本に対して果たした役割はたいへん大きいのである。(P47〜P50)

明日へ続き

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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