2010年05月19日

豆腐バカ 世界に挑む 著者/雲田 康夫

昨日の続き

この他の雲田氏の泣き笑いのエピソードは、路上に豆腐5ケースを一晩置き忘れたにもかかわらず、誰にも盗まれず無事だったのはよかったが、「カップラーメンならば、とっくに盗まれていましたよ」て言われたことや、ロサンゼルス暴動の際、豆腐の卸し先のストアも暴徒の略奪があり、ほとんどの品物が略奪されたにもかかわらず、豆腐だけは全く手つかずで無事だった事実に、被害がなかったこととは逆に、アメリカ人にとって豆腐は盗んだり、奪ったりする価値のないものだと見なされたことに、豆腐を無価値と見なして、盗んだり奪ったりしなかった泥棒や暴徒に逆に怒りを覚えたこと。

日系の老婦人には昔ながらの水に浮かんでいる豆腐と違い、パックに入った豆腐は豆腐と認めてもらえず衝撃を受けたこと。

デモンストレーションで、せっかく売れた豆腐も、雲田氏がタバコを一服したのを見つけた顧客が、販売者が喫煙していることを理由に返品してきたこと。

宣伝のため、豆腐の着ぐるみを着てロサンゼルス・マラソンに参加したり、その他のイベントやキャンペーンを必死でおこなったこと。

その他諸々の苦労の末に、クリントン大統領に豆腐ダイエットをさせたいというヒラリー夫人のインタビュー番組がNBCテレビで放送されたことがキッカケで、風向きが変わりだしたこと。

また、豆腐ビジネスとは別に、日米のビジネスや社会習慣における異文化衝突や日本本社とアメリカ現地職員との板挟みになっての苦労などなど。

アメリカ市場で誤解と失敗と無理解とで何度も途方に暮れながら、それでも諦めずに死にもの狂いで豆腐ビジネスを拡げた雲田康夫氏の20年間のビジネス回顧録をどうぞご一読ください。〔光文社ペーパーバックス〕



雲田 康夫
1941年、樺太生まれ。北海道育ち。1965年、青山学院大学卒業後、森永乳業株式会社入社。1971年にデンマークのIPC大学に留学。1973年に復職し、新製品開発部に配属、ビヒダス牛乳の開発を手がける。その後、国際部に異動し、長期保存の豆腐プロジェクトに参画。1985年、米国現地法人設立のため渡米。同年5月、《 Morinaga Nutritional Foods, Inc 》を設立し、社長に就任。2005年に社長を退任し、顧問に就任。
posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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