2010年04月28日

たんたんたたた―機関銃と近代日本 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

いま仮に、許容誤差百分の一ミリで部品を量産するためには、それを加工する機械の方は、千分の一ミリの精度で作られていなくてはなりません。

ところが当然のことに、工作機械の精度が少し上がれば、その価格は跳ね上がることとなります。

この千分の数ミリ未満などという、もはや目で見ても分からないような精度のために、何倍もの代金を工作機械にかけることが、戦前、特に明治期の日本人には、なかなか出来なかったようです。

日本随一の機械工場であった、大阪と東京の両砲兵工廠ですら、特に必要でない限りは、外国で償却期間が過ぎたような中古の工作機械を安く輸入して、精度よりも数を揃えることを優先していました。

外国では機械1台何千円、こちらでは2〜300円以下だった、と南部中将(山口注:南部麒次郎。明治末から大正・昭和にかけて日本陸軍の銃器開発で活躍した工学系軍人)自身が昭和12年7月に述懐しています(「兵器回顧談片」『偕行社記事』第754号。ちなみに支那事変中の、家一軒の価値が土地抜きで約1000円。銀行事務員の月給は70円といったところ)。

明日へ続き

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/147926901
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
宜しければクリックを、人気blogランキングへ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。