2010年04月25日

たんたんたたた―機関銃と近代日本 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

しかし結局、日本陸軍はマキシム機関砲には見切りをつけます。

日露戦争では、正式にライセンス契約を結んで生産した6・5ミリホチキス機関砲をもって、ロシア軍の調子抜群の7・62ミリマキシム機関砲(ロシア製を含む)と対決することとなります。

I・I・ロストーノフ編『ソ連から見た日露戦争』によれば、ロシアは1902年にビッカース社からマキシム機関砲のライセンスを買っていますが、床井雅美著『世界の銃器』(ごま書房、1979年)によれば、その生産がツーラ造兵廠で始まったのは1905年ですから、日露戦争でロシアが運用したマキシム機関砲の大半は、7・62ミリ仕様でビッカース社へ発注して輸入したものだったのでしょう。

それにしてもロシアが3年足らずで自家薬籠中のものにできた馬式機関砲を、ではどうして日本の東京砲兵工廠では放棄せざるを得なかったのでしょうか。

ここに、明治初期の日本人が「自分たちもすぐに真似できる」と高をくくりながらも、とうとう昭和の敗戦まで真似することができなかった西洋技術の真髄、または「精神」が、ひとつ出てくるのです。

それは、人の生身の五感では捉えきれない微小な世界、たとえば加工精度へのこだわりでした。

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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