昨日の続き
『日本軍のマキシム機関砲』
マキシム機関砲は世界中にセールスされましたが、日本でそれを最初に入手したのは、陸軍であったようです。
『陸軍兵器本廠歴史前記』の1887(明治20)年8月の記事の中に、「マキザム砲附属弾薬」(「砲と弾薬」の意味か)を「ヂャーデンマヂソン商会」より買収、と書かれているのが判読できます。
(中略)
戊辰の役以来、武器商として一代で巨億を成した大倉喜八郎は、マキシムがロンドンで機関砲事業を始めた1884(明治17)年に、2回目の欧米旅行をしており、帰国後は、ジャーディン・マセソンの代理人になっていました。
(中略)
1895(明治28)年6月、台湾占領作戦に、馬式機関砲(山口注:馬式=マキシム式)は試験的に投入されたようです。
伊藤整の『年々の花』が『台湾征討図絵』を引用するところによれば、近衛第一旅団は「機関砲隊」わ4隊有し、その各隊は4門を有していました。
(中略)
とはいったものの、東京砲兵工廠で200門も製作されたマキシム機関砲は、やはり全般的によくない出来だったのです。
明日へ続く
2010年04月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

