2010年04月19日

たんたんたたた―機関銃と近代日本 著者/兵頭 二十八

昨日の続き

『日本への売り込み』

早くも翌1867(慶應3)年には、日本にガトリング砲が数門売り込まれました。

ここから、日本人と機関銃の付き合いが始まったようです。

高橋義夫著『怪商スネル』によれば、慶應3年の末頃、横浜のファーブルブランド商館に当時最新式の「360発元込め六ツ穴のガットリング砲」3門が仕入れられ、1門1万2000両で売りに出されました。その口径については分かっていません。

長岡藩家老の河井継之助がそのうちの2門を買い付け、慶應4年3月に船で新潟へ持ち帰り、中田蕭村著「衝鉾隊戦史」(『幕末実戦記』)によれば、同年5月19日の長岡城下神田口の防衛戦で官軍に向かって火を吹きました。

稲川明雄著『長岡城燃ゆ』に紹介されている長谷川五郎太夫隊の記録によりますと、長谷川が河井と会った時点で河井が「奇環砲」を率いていたが、内川橋ではもう河井はそれを持っていなかったとあります。

(中略)

すごい値段だったわりには戦果は何もなかったようですが、これは陸戦にガトリング砲が投入された世界初の例だったかもしれません。

(中略)

徳川幕府が軍艦の購入に代官を派米した1867(慶應3)年、そして翌1868(明治元)年は、アメリカ海軍にとってどんな年だったでしょうか。

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
宜しければクリックを、人気blogランキングへ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。