2010年02月09日

太平洋戦争はなぜ負けたか 著者/別宮 暖朗

昨日の続き

この間、通産官僚が推進した傾斜生産政策で優遇された石炭鉱業や造船工業は、このあと10年もたたずして斜陽産業に転落した。

石炭生産の拡充=傾斜生産論争とは、GHQに巣食った都留重人ら社会主義者と外務省・GHQのマーカットらの、年産2600万トンか3000万トンか、輸入重油を16万トンにすべきか否かといった国家にとっては些少な論争である。

ちなみに戦艦『大和』の沖縄特攻ですら、1万4000トンの重油が必要であった。

これによって鉄鋼生産を確保しようとしたが、どちらになろうが生産は増えなかった。

鉄鋼生産が増えたのは、川崎製鉄による千葉製鉄所の完成以降であって、昭和40年には日米鉄鋼生産は逆転し、アメリカは日本に鉄鋼輸出を自主規制するよう要請するに至った。

GHQや革新官僚がいかに談合しようと、日本人にある企業家精神が屈することはなかった。

吉田茂はニュー・ディーラーが国に戻ってせいせいしたと書いた。

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 🌁| 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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