2010年02月05日

太平洋戦争はなぜ負けたか 著者/別宮 暖朗

昨日の続き

日本の農業の改革は、工業の振興を伴わなければならない。

しかるに、かの農地改革は、従来の小作人を、そのまま自作農とし零細農業を固定化した。

(中略)

農家を減らし、各戸の耕作面積を増やさなければならぬとする私の主張とは、全然の逆行である」(『湛山回想』)と書き、農地改革後の日本の農業不振を予言した。

財閥解体についてGHQは「封建的忠誠心による財閥当主に家父長的隷属」や「軍部に政治的に協力」などと主張したが、全くの虚偽であろう。

三井財閥「総帥」団琢磨は、政府に協調的でないため、狂信的右翼に殺害されたのである。

陸軍内の(国家)社会主義者が財閥を忌み嫌ったことは彼らは十分知りえたはずであった。

農地改革や財閥解体は、実は戦前の革新官僚が準備していたものであった。

終戦によって海軍条約派や陸軍統制派は消滅したが、GHQの虎の威を借る革新官僚は生き残り、戦前と同様の猛威を振るった。

また社会大衆党など、統制経済や官僚現役主義に最も熱心に協力した政治勢力は、GHQの後援の下、日本社会党を結集し、GHQの無法な「指令」や改革を「民主的」措置と触れて回った。

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 🌁| 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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