2010年02月01日

太平洋戦争はなぜ負けたか 著者/別宮 暖朗

昨日の続き

このとき、イギリスは21億円、清国ですらも2億6千万円であった。

加えて、明治時代、日本の最大の輸出産品は生糸および繭であったが、1900年代から、需要変化によってそれすら輸出不振に陥り、輸出構造の変革を迫られた。

この構造変化に対して、日本の貿易商はインドや南米などに綿製品輸出の販路拡大に成功し見事に対応していった。

それまで綿製品はイギリス最大の輸出品目であったが、その地位を奪ったのは日本であった。

この頃から、北米への雑貨の輸出も開始された。

第一次大戦が終わると、世界第7位の経済規模に達し、「アジアの工場」と呼ばれるようになっていた。

輸出で目立ったのは、いずれも大阪に本社を置く十大紡であって、彼らこそが最終的にイギリス・ランカシャーの綿紡を圧倒したのである。

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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