2010年01月29日

太平洋戦争はなぜ負けたか 著者/別宮 暖朗

昨日の続き

米デュポン社によるナイロンの製造とほぼ同時期であった。

ビニロンは主として工業用ロープの製造に供されたが、国家総動員法では繊維工業は第一種産業とされ、最も縮小すべき事業とされた。

日本の航空機産業の多くは名古屋に立地していたが、近くの多くの繊維工場は事業廃止を命ぜられ、軍監督官の事務所に変えられた。

繊維担当商工省課長補佐にとって、ビニロンの耐弾性タンクへの応用は自分の権限外のことに過ぎなかった。

補佐行政の下では役所間の連絡は全く無かった。

陸海軍の間すら無かったのである。

この間、耐弾性のない燃料タンクを持った日本機はバタバタと撃墜された。

ビニロンが防弾ゴムの生産に必須であると認識されたとき、唯一生産していた鐘紡都島工場には細々とした生産ラインがあるだけであった。

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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