2010年01月27日

太平洋戦争はなぜ負けたか 著者/別宮 暖朗

昨日の続き

日本では、三菱や中島といえども海軍の仕様指示を待ってから設計するのであって、仮に優れた技術や部品を応用して高性能を出せると確信しても、提案するなど思いもよらぬことであった。

日本の統制経済は、ドイツの国家社会主義経済よりも民間活力を削いだ経済であり、はるかに効率も低く、新技術・新兵器を生み出す力は弱かった。

加えて戦時となる前から、民間企業の合併、廃業を促したことから、設備能力そのものが萎縮していた。

戦時経済では、民間工場を軍需品工場に転換させることが生産拡大の手段であるが、日本では転換に値する民間工場はほとんどなかった。

日本は第二次大戦の主要参加国で唯一、家庭の主婦に軍需工場への徴用義務を課さなかった。

働くべき工場が無かったのである。

これに対しアメリカでは、流れ作業を採用し非熟練労働者を雇用していたGMやフォードが航空機や戦車を造った。

日本は昭和17年に入っても、戦時体制に入ったとはいえなかったが、アメリカは昭和17年初頭から民間企業の軍需転換を促す政策をとった。

国家間の戦争が大規模になり、長期にわたるようになると、経済と戦争の勝敗はリンクするようになった。

海戦が中心の太平洋戦争では、科学技術・生産技術は決定的であった。

昭和11年体制の日本は自由経済のアメリカに敗れたのである。(P183〜P185)

明日へ続く

posted by 管理人 at 00:00| 東京 ☀| 日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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