だいたい、ピースボートの方々が、そしてその同類である自称「市民団体」や、親分である辻元議員と、その所属政党である社民党が、「平和憲法」と呼んで、誇りにしている日本国憲法前文と第9条を賛美し、崇拝する態度は、それが「合理的」だからという判断からとはどう見ても思えず、条文が「合理的か否か」など一切関係無く、一種の信仰心によるものとしか解釈の仕様がありません。
これらの方々は日本国憲法前文や第9条を賛美するのは、合理性ではなく、信仰心によるものなのです。
しかし、その信仰心とは、小室直樹氏の自称・ファンダメンタリストの友人の信仰心と同様に、本音では、「主張と現実は別だ」と考えている、ご都合主義的なものだったことが、今回のピースボート側の弁明でハッキリしたわけです。
やれ非武装中立だ、やれ反戦だ、やれ無防備都市宣言だと、喧しく主張している社民党や、市民連合だか平和団体だかを自称している方々の論がいかに空虚なものであるかを、今回のピースボートの一件が見事に証明してくれたわけです。
平和と安全を守るのに、最も頼りになるのは「平和」や「反戦」を謳った祈りの言葉ではなく、危険な存在を近づけない具体的な「武力」であるという真実を、ピースボートの方々は自らの理想や面子を犠牲にしてまで、証明してくださったわけです。
私たち日本国民はピースボートの方々が、恥じも外聞も捨てて真実を証明してくれたことを、決して無駄にすることなく、1日でも早く、日本国憲法前文と第9条の改正をやり遂げなくてはならないでしょう。
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