2009年01月22日

魔法のラーメン発明物語 著者/安藤 百福

昨日の続き

『浅間山荘事件〜隊員の食事が大写しに』

1971年(昭和46年)9月、自信を持って発売したカップヌードルだったが、スーパーや小売店には並ばなかった。

私は若手の営業社員チームを組ませ、食品ルート以外への販売を指示した。

彼らは百貨店、遊園地、鉄道弘済会(KIOSK)、官公庁、警察、消防署、自衛隊から麻雀店、パチンコ店、旅館まで回った。

そんな特殊ルートしか当てにできなかいのでは、この商品は危ないという声が社内に高まった。

私は、いい商品は必ず世の中が気がつく、それまでの辛抱だと社員を励ました。

「売れました」という最初の朗報は埼玉県朝霞の陸上自衛隊を回っていた社員からもたらされた。

演習場で給湯車からカップヌードルに湯を入れて、隊員に配られたのである。

米国に出張の際、私はコーラを片手に持って、立ったままフライドチキンやハンバーガーを食べる人の姿を見ていた。

日本でもいずれそんな自由な食べ方が流行り出す。

日本人は麺が好きだから、その時は必ずカップヌードルのような商品が日本のファーストフードになるだろうと考えていた。

発売した年の11月、銀座三越前の歩行者天国で試食販売をした。

私は週末になると東京に出かけて、販売に立ち会った。

長髪、ジーンズ、ミニスカート姿の若者たちは最初は戸惑っていたが、一人二人と食べ出すと、たちまち人だかりになった。

彼らは立ったまま平気で食べた。

発表会の席で、良風美俗に反するから売れないと言われたことを思い出した。

食は時代とともに変わる。

目の前の若者たちを見ながらそう確信した。

その日だけで2万食が売れた。

同じ年の7月、銀座三越の一階に、米国から上陸したマクドナルドが1号店をオープンしていた。

期せずして、カップヌードルとハンバーガーという東西のファーストフード文化がここで出逢い、ともにスタートした瞬間だった。

一方、カップヌードルは相変わらずスーパーの店頭には並ばなかった。

そこで私は、専用の給湯設備がついた自動販売機を作ることにした。

当時、お湯の出る自販機はどこにもなく、メーカーと共同開発した。

この自販機は給湯販売なので食品衛生法上は飲食店の営業に当たる。

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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