2009年01月16日

魔法のラーメン発明物語 著者/安藤 百福

昨日の続き

『追い風〜時代を味方に大繁盛』

「日清食品はあと何日もつか」。

新聞記者たちが、そんな話をしているという。

1959年(昭和34年)、大阪府高槻市に新工場を建設中のことである。

旧国鉄の摂津富田駅から徒歩5分のところに、1万5000平方メートルの土地を買い、さらに買い足して、合計2万4000平方メートルになった。

敷地には電車の窓からよく見えるように「魔法のラーメン、チキンラーメンの日清食品工場予定地」と大書した看板を立てた。

その敷地を見た記者たちが、たかがラーメンであんな大きい工場を作って大丈夫かと噂していたのである。

私は新工場の量産化プラントを設計するのに、技術者たちと意見が対立し、よくぶつかった。

例えば、製麺機の幅を45センチにすることに技術者は反対した。

33センチが限界で、それ以上広げると均一に伸びないと言う。

そんなことはないだろうと、製麺機に屈み込み、切り歯に右手を差し出した。

その瞬間、薬指が第一関節のあたりで切れてしまった。

医師は皮一枚で繋がっているだけだから切断するしかないと言うのを、そんなことはない、私の指だから私が責任を持つ、くっつけてくれと頼んだ。

指はいまだに、ちゃんと繋がっている。

私はたとえ医師や弁護士であっても、専門家の言うことを鵜呑みにはしない。

時には素人の発想が正しいこともある。

指を切る原因になった製麺機も、結局私のアイデア通りの45センチで実現した。

チキンラーメンはいくら作っても需要に追いつかなかった。

工場では問屋の人たちが4万円、5万円といった現金を懐に入れて、製品が出来るのを待っていた。

中には20万円もの前金を置いていく人もいた。

商品を待つ問屋のトラックは高槻工場を一周し、さらに国道まで延びていた。

門前市をなす状態とはこういうものかと、初めて実感した。

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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