人間の欲望は限りが無い!物欲、金銭欲、権力欲、名誉欲、自己顕示欲・・・。しかし、それらすべては人間の存在の為に必要な食欲と性欲を満たす為の道具と言って良く、とどのつまり、人間は食い気と色気を求めて生きてきたし、生きているのであります。
その二大欲望のひとつである「性」の秘密を、世界史の視点で探ってみませんか?“売春が世界最古の職業といわれる理由”。“キスの起源は男の嫉妬からだった!?”。“中世ヨーロッパの恐ろしい魔女狩りは性の狂気により生み出された!?”。“レズビアンの語を生んだのは古代ギリシャの女詩人?!”などなど。古今東西の性の愉悦と迷妄にはまってしまった人達の悲喜劇や古代の性愛術や性の珍習、奇習などを集めた学校では教えてくれないオモシロ世界史。
内容抜粋
【売春が「世界最古の職業」といわれる理由】
“よく「売春は世界最古の職業」と言われるが、元々は売春といっても、金銭のやりとりがなく、慈善的なものとして始まった。シュメール人と言えば、史上最古の民族とされ、紀元前3000年頃にはメソポタミア南部に都市国家をつくり、楔形文字を発明したことで知られる。このシュメールに「神殿娼婦」と称する、性交に熟達した女達がいた。後にギリシア人は、彼女達を「ヒエロドゥロス」と呼んだ。各地から男達が貢ぎ物を持って神殿にやってくる。神殿娼婦達は、そうした男達のすべてと性行為を行う義務があった。彼女達は神の側女とされ、性交為はいわば接待であり、見知らぬ男達との性交は、神秘的な夫婦関係と見なされた。つまり彼女達が性交するのは神へ奉仕するのと同じこととされたのである。彼女達は神殿娼婦だからといって、誰からも軽蔑されることはなかった。また、シュメールの娘達は、神殿で処女を捧げるのが習慣になっていた。処女が流す血は神の好む供物とされていたから、娘達は祭壇の前で、神の代理人である祭司に身をまかせ、処女の血を流した。祭司との性交為は神聖な儀式とされていたから、娘達は羞恥心を抱かず、処女を捧げたのである。その神をイシュタルといい、愛と結婚、性愛、豊穣の女神だった。だからその像には、豊かな乳房が描かれている。しかしイシュタルは同時に男神でもあり、その証拠として髭を生やした姿で表された。つまり両性具有神なのである。したがって娘達は、祭司を男神としてのイシュタルの神聖な化身と信じて疑わなかった。逆に言えば、娘達は聖職者からそう思い込まされていたのである。こうして処女を捧げると、娘達は祝福を受け、初めて結婚が認められた。イシュタルは結婚の守護神であると同時に神殿娼婦達の守護神でもあった。ところでシュメールの結婚は、男が妻を買うということでまとまった。基本的には一夫一妻制だが、既婚の男が他に妾を持っても、あるいは神殿娼婦とセックスを楽しんでも、背徳の行為として非難されることはなかった。娘を誘惑し、性交為におよんだ場合、独身の男ならその娘と結婚しなければならない。既婚の男であれば娘の父親に慰謝料を払って償う必要があった。この地域は、やがてバビロニアとなるが、それでもこうした性習慣は引き継がれた。バビロニアの娘達は神殿で処女を捧げてから結婚したり、情事に耽った。無論、神殿娼婦もいたが、彼女達はもはや慈善的な性交為をするのではなく、金をもらって相手をする神殿内の売春婦となっていた。(P16〜P19)
【風呂屋で行われた結婚披露宴】
“中世ヨーロッパでは、自由に快楽を求める風潮が高まったが、こうした傾向は上流階級だけでなく、市民にまで広がっていた。とくに都市では公衆浴場が享楽の場として、大繁盛した。市民の家には浴室がないから、自然と公衆浴場へ出かけていく。入浴は体の清潔のためだが、無論それだけが目的ではない。男と女の自由な交際、楽しみを求めて集まったのである。いまも当時の浴場風景を描いた絵が残されているが、それを見ると、大勢の男女が全裸で風呂に入りながら、ワインを飲んだり、何かを食べたりしていたようだ。男女のカップルがじゃれあう様子も描かれている。 E・フックスの『風俗の歴史』も、男女ともに全裸か、腰布を巻いたり、小さな布で陰部を隠して入浴したものの、湯につかると布が浮き上がって何の役にも立たず、下半身があらわになった、と記している。殆ど裸同然の混浴だった。ある地域では、下着は浴槽に入ってから脱ぐこと、という規則を定めていた。ところが誰もがそれを無視して、最初から服や下着を全部脱いで浴槽に入った。それは下着が濡れると肌にへばりついて不快になるという理由からだが、それは表向きのことだった。脱衣場が一つしかないから男女が共用する。そのため、男も女もそこで脱ぎ、裸を見せ合うことになった。それが本当の理由だった。その結果、男と女がどうなるか、それは想像に難くない。当時の人々はかなり衝動的だったから、自然に気の向くままに行動した。よく「彼らは体を白く洗い、心を罪で黒くして家へ帰る」と言われたというが、それは入浴をきっかけに、男と女が性愛に耽っていたことを物語っている。14世紀になると、ドイツ南部のミュンヘンやレーゲンスブルクなどでは、なんとも奇抜なことだが、風呂屋で結婚披露宴が行われるようになった。当時の銅版画にも、その様子が描かれている。例えば大型の浴槽を六個ほど並べ、その上に細長い板をさし渡し、板の上には料理やワインが乗っている。このテーブルを挟んで全裸の男女が十数人、浴槽に入っているという絵柄だ。つまり、全裸になって浴槽につかりながら酒盛りをし、歌を唄い、結婚を祝福したのである。おおらかといえば、これほどのおおらかさもないが、かなり色情的な光景だった。こうして公衆浴場は、急速に淫蕩の場となっていく。やがて公衆浴場が娼婦を雇い、ルネサンス期には娼家として栄えた。もっとも浴場での売春というのは、既に古代から行われていた。古代ローマの共和制末期には、男女混浴だったこともあって、売春が盛んだったのである。フランスでは14世紀から15世紀にかけて浴場での売春が行われていた。フランス南部のアビニヨンのある浴場には、16室もの寝室があったというから、娼家そのものだったといってよい。イギリスでも同様だった。特に中世のイギリスで売春が行われたのは、「バグニオ(浴場の意)」と呼ばれる浴場だけで、その数も多かった。18世紀には「バグニオ」が急増したが、浴場とは名のみで、浴室に入る客はいなかったし、完全な娼家と化していた。娼婦の中には黒人や中国人もいたし、客の好みに合わせて性的快感が享受できる設備もあった。サドやマゾ趣味は無論、あらゆる快楽を得ることが出来たという。19世紀初頭には、こうした「バグニオ」がロンドンだけで数百件も営業していたのである。”(P145〜P149)
古今東西のおもしろ“性”知識満載の快著!!
2005年12月26日
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