昨日の続き
『黄門さまの巨大饅頭』
水戸黄門として名高い徳川光圀(1628〜1700)は、徳川家康の十一男頼房の三男で、常陸国水戸藩第二代藩主です。 若い頃は血気にはやった行いも多かったようですが、十八歳の頃に『史記』を読んで感動、以後学問を志し後に名君とまでいわれるようになりました。 藩主時代はもちろん、藩主を辞した後も七十三歳で没するまでの約十年間は領内の巡視、『大日本史』編纂の促進などで文化事業に力を尽くし、さらに社寺改革その他、藩政にも大きく貢献した人でした。 光圀は、イチジクや東南アジアの柑橘類など珍しい果物を栽培したり、蕎麦やうどんを自ら打ち、ラーメンを賞味したという食通としての一面もあったといわれています。 虎屋の菓子もお好みだったようで、貞享5(1688)年5月28日に霊元上皇が能を催された折、虎屋を通じて大饅頭100個を献上した記録が残っています。 また、元禄13年4月13日には、歌人として知られる友人の公家・中院通茂(なかのいんみちしげ)の七十歳の祝いに饅頭を100個も贈っています。 光圀からは饅頭の上に紅で「ふく(福)寿」と書くように指示があり、皮27匁、餡43匁で合計が70匁(260グラム)になるようにとの配慮もされていました。これは現在の虎屋標準の饅頭の約五倍の重さで、当時としてもかなり大きな部類に入りますが、通茂の年齢にちなんだものでした。 この時の使者は、光圀に仕え通茂に和歌を学んだ国学者・安藤為章で、彼の著書『年山紀聞』(1702)にある「寿桃百顆大きなる饅頭に紅をもておのおの寿の字を書きたり」という記述は、虎屋の記録とほぼ一致します。なお、饅頭とともに、長い蝋燭、長い素麺、外国産の長い線香も贈られたそうです。(P67〜P69)
明日へ続く
2008年10月30日
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