2008年09月09日

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 著者/エレナ・ジョリー, 山本 知子

昨日の続き

※本書の内容は、主人公のミハイル・カラシニコフ氏が自身の人生を語ったものをエレナ・ジョリー女史が聞き書きしたものと、カラシニコフ氏の語りとは別個にエレナ・ジョリー女史によるロシア革命やソ連社会の様子や第二次世界大戦でのソ連とドイツの戦争(ソ連・現ロシア側は「大祖国戦争」と呼ぶ)等の解説によって構成されております。それを区別するために、内容抜粋にあたって、エレナ・ジョリー女史の解説には【エレナ】、カラシニコフ氏の語りには【カラシニコフ】と、抜粋文の冒頭に付記致します。

◎内容抜粋

【エレナ】 (前半略) ある日、ミハイルは、錆び付いて動かなくなったドイツ製の拳銃に出会う。その銃を元の状態に戻そうと何日もかけて修理しながら、彼は悟った。これが自分の天職だと。 (中略) 1938年、軍に召集され、整備士として戦車部隊に配属される。軍隊は彼にとって武器設計者としての才能を心おきなく発揮する場となった。20歳にして発明した戦車用の独創的な装備は、あの国民的英雄ジューコフ将軍(山口注:ゲオルギー・コンスタンティノヴィチ・ジューコフ〓第二次世界大戦におけるドイツ軍のモスクワ侵攻を撃退したソ連軍の英雄的軍人。それ以前にノモンハン事件でも日本軍と戦った将軍)の目にとまり、直々に称賛の言葉をかけられたほどだった。 第二次世界大戦が勃発すると同時に、ミハイルは前線に送られた。数ヵ月後、ドイツ装甲車部隊を相手に戦ったあの有名な「ブリヤンスクの戦闘」で重傷を負う。その状態で敵地を一週間さまよい歩いた後、味方の軍隊に奇跡的に救出される。これまた、彼の強靭な精神力のおかげだった。その後、病院に送られたカラシニコフは、長期の療養生活を送ることになる……。 こうしたエピソードを聞いてを聞いていると、さながら、スリリングな戦争小説を読んでいる気分になる。彼はその間、傷の痛みにもかかわらず、昼も夜もたったひとつの思いにとらわれていたという。 「ファシストを倒すための武器をつくりたい!」。 それから5年。一心不乱に研究を重ねた結果、ついにあの突撃銃(アサルトライフル)「AK47」が誕生する。(中略)誰もが知っている武器の設計者であるカラシニコフは、中等教育すら終えていない。彼は言う。 「私は生まれながらの設計者だ。私の大学、それは本だった」。 (中略) それにしてもエンジニアですらない26歳の無名の軍曹が、才能豊かな名だたる設計者たちを尻目に、どうやって頭角をあらわすことができたのだろうか? ライバルの中には、スターリンの個人的な評価を受けていた者も何人かいた。だが、カラシニコフは叩き上げの兵士であり農民出身だった。だからこそ、彼が開発した銃の最大の強みは、構造の単純さと信頼性にあった。洗練とは無縁だった。 AKの開発は、科学よりも経験を重視し、「実験と失敗の繰り返し」に導かれている。後に彼の妻となるカーチャは、カラシニコフ自らが自分の作業場で仕上げた試作品をデッサンする役を引き受けていた。カラシニコフとその手腕にまつわるエピソードは、伝説となったガレージで未来のコンピューター産業の土台を創りあげていったアップルコンピューター社のスティーブ・ジョブスやマイクロソフト社のビル・ゲイツの創業時の逸話を彷彿させる……。(P13〜P16)

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/106203885
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
宜しければクリックを、人気blogランキングへ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。