2008年09月08日

カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男 著者/エレナ・ジョリー, 山本 知子

昨日の続き

しかし、このカラシニコフ小銃は単に旧ソ連の共産主義革命を輸出するという戦略的手段だけで、これほど大量に普及したわけでもありません。

実際、かなり優秀な銃だからここまで広まったわけです。

東西冷戦時代の一時期、ベトナムやカンボジアをはじめ、エチオピアやらアンゴラやら、その他多くの国や地域で、このカラシニコフ小銃を手にした兵士やゲリラが勝利や支配を手にした事実があるからです。

もしもこのカラシニコフ小銃が、貧乏国家の軍隊やゲリラでも容易に購入できる安価だけが取り柄の小銃だとしたら、決して一国を支配できるような勝利に貢献はできないでしょう。

なにせベトナム兵はこの銃で(いや、カラシニコフ小銃どころか、それ以前のもっと旧式の小銃も多数使っていたようですが)世界最強の軍隊であるアメリカ軍に勝利しているのですから。

アメリカが誇るM16小銃(劇画『ゴルゴ13』の主人公・デューク東郷の愛用銃としても有名)に勝利した銃とも言えるわけです。

ずいぶん以前(20代の頃かな?)に作家でフランス外人部隊や東南アジアで傭兵経験のある柘植久慶氏が、「カラシニコフは汚れに強く、泥や埃の多い土地でも故障が少なかった」、「戦場で乱暴な扱いをしても壊れずちゃんと作動した」 といった類いの評価をしていたのを氏の著作(どの本だったかは不明)で読んだことがありますし、また、何人かの外国人の軍人や傭兵が書いた戦記(これまたずいぶん昔に読んだために、著者・タイトルは忘れた)にもカラシニコフの頑丈さ、汚れに対する強さを評価した文章を読んだ記憶があります。

考えてみれば、カラシニコフ小銃が東南アジアや中東、アフリカ、南米などの発展途上国で猛威を発揮したのは、そういう国々を共産主義化しようとする旧ソ連の国家規模の支援も勿論有るでしょうが、銃をメンテナンスする技術も、新たに調達するための資金も乏しい発展途上国の軍隊の兵士やゲリラには、頑丈で粗雑に扱っても故障が少なく、汚れに強く、整備も容易というカラシニコフ小銃の長所が何よりも有り難かったというわけではないでしょうかね。

さてここらへんで、本書の主人公のミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフという人物について少し紹介いたします。

その前に、本書は自伝とはいえ、このミハイル・カラシニコフ氏自身が書いたものではなく、カラシニコフ氏の娘と友人関係にあったエレナ・ジョリーという女性ジャーナリストがカラシニコフ氏に取材してまとめた「聞き書き」形式です。

さて、当のミハイル・カラシニコフ氏ですが、1919年、つまり世界史で有名なロシア革命(ロシアでは十月革命と呼ぶ)の2年後、まだ革命直後の内戦の最中に農民の子として生まれました。

ミハイル・カラシニコフが11歳になった1930年にカラシニコフ一家は、ソ連の独裁者スターリンの圧政「富農撲滅運動」の対象となってシベリアへ追放となりました。

しかしミハイル・カラシニコフはそんな過酷な運命に屈することなくシベリアの地から二回の脱走を試み、その途中で手に入れた錆びたドイツ製拳銃との出会いがその後のミハイル・カラシニコフの銃器設計者としての、そしてソビエト連邦の国家的英雄への道を歩む出来事となりました。

国家に一家ごと罪人として過酷なシベリアに追放され、それでも人生を諦めずにシベリアを脱出後、身分を隠して生きながら、その酷い仕打ちをしたはずの国家を愛し続けたカラシニコフ。

彼は時の政権が行う政治と祖国に対する愛を分離して考えていました。

たとえ現在、自分の家族や多くの国民が苦しむ圧政をなした政府が統治していようとも、その祖国が外国から侵略を受け、国家存続の危機となれば、その侵略者ナチス・ドイツから祖国を守る為に一兵卒として勇敢に戦い、さらに高等教育を受けておらず、専門知識や技術のないハンデを独学と情熱と祖国愛で克服して、ソ連軍の代名詞ともなり、さらには主敵アメリカを散々悩ませることになる世界一有名な銃を創りだした男の数奇な人生を綴った一冊です。

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 人文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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