2008年08月27日

世界伝説コレクション 著者/山口 智司

昨日の続き

駒大苫小牧の優勝が冗談ではなく真実だと知ったときは、嬉しいというよりも関係者その他の方々には大変失礼ながら、真夏の空に今にも大雪が降ってくるんじゃないか?!と思って、冗談ではなくマジで空を見上げてしまったほどです。

ましてや翌2005年の夏の甲子園で再び優勝するに至っては、言葉を失してしまいました。またまた関係者の方々や地元北海道民の怒りを買いそうなことを書いてしまいますが、優勝が信じ難いにしても一度くらいなら、そういうマグレもあるだろうと納得できても続けて連覇となると、「北海道代表=初戦敗退は、まあそんなとこだろうな、二回戦進出は大健闘!、三回戦進出は奇跡!!」と子供の頃から長年信じこんでいた私には想像を越える出来事で、どう反応してよいやらわからなかったのです。

まあ、素直に喜べはいいのではありますが、そもそも野球自体にほとんど興味がないわけですから、自然な感情で「嬉しい!」という気持ちが湧き起こりにくいのかなぁ〜? あっ、誤解されては困りますから、一応弁明させていただきますが、私とて故郷の高校の栄冠を決して望んでいないわけではないのですよ。

しかし、しかし野球自体にさしたる興味も愛着もないまま、大人になってしまったがためか、どうしても子供の頃からの長年の感覚(偏見かな?)が勝ってしまうのですかね?(^_^;)  とはいえ、そんな私でも小学生時代だった1970年代は現在と比べて娯楽が少なく、限られていたせいもあって、甲子園の時期になれば友達との付き合いの関係で、それなりに高校野球を視てはいました。

なにせ当時の日本ではまだ、『キャプテン翼』も『スラムダンク』も登場しておらず、サッカーもバスケも野球とは比較にならないマイナースポーツでしたから、子供たちが視て楽しみ、話して盛り上がるスポーツといえばまず野球一辺倒(他には相撲とプロレス程度)だったから、野球に無知無関心な私でも「付き合い」の必要から視てはいたのです。

我が母はそんな私を野球に興味があるものと思ってか、甲子園が始まるとよく、1963年春の選抜大会で北海道代表として初めて決勝戦まで勝ち進み準優勝した北海高校の話をしてきたのです。

我が母にしても格別野球好きというわけではなく、スポーツにも興味があるわけでもないのですが、何故かその北海高校準優勝の話題だけは毎年熱く私に語って聞かせていたのです。

それはつまり北海高校の甲子園での準優勝がそれだけ当時の北海道民にとって誇らしい業績であったことを意味するのではないでしょうか?

我が父なんかは東北地方出身で北海道には大人になってから渡ってきたためか、郷土愛の対象は東北地方であって北海道ではないため、北海高校の準優勝には無関心だったのですが、我が母は北海道育ち(生まれは京都だが、7歳から北海道に住んでいる)なものだから北海道に強い郷土愛があるため、野球そのものに詳しくなくてもそんなことは関係なく、それまで大した成績を挙げるこてが出来ずにいた北海道代表の高校が甲子園という全国規模の晴れ舞台で決勝まで行けたことが、よほど誇らしかったのでしょう。

だから野球について私と同程度の無知であるにも関わらず、北海高校が下関商(山口県)と闘ったその決勝戦の話を毎年、甲子園の時期なると私に嬉しそうに、誇らしげに語って聞かせていたのです。

まあ、野球に無知な母ですから大した内容の話を語っていたわけでもないし、私も本音は大して興味がなかったわけなのですが、あまりに嬉しそうに、誇らしげに語る母に付き合って私も適当に相づちをうって聞いていたというわけなんですがね。(^_^;)

まあ、つまり1963年の甲子園での北海高校準優勝は、北海道に対する郷土愛強き我が母にとっては我が子に語り聞かせるべき立派な「伝説」だったのでしょうね。(^ー^)

ああ、いかん!これは私にとっての伝説ではなくて、我が母にとっての伝説でした。 しかし、長文になってしまったので、そろそろ今回紹介いたします本の内容抜粋へと移らせていただきますのでよろしく!

明日へ続く

posted by 管理人 at 07:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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