昨日の続き
『縄文人はスーパーマン?』
【小山】縄文時代のイメージが、いま急速に書き換えられています。意外にもこの時代はモノが大量かつ広範囲に動いている。モノが勝手に動くわけがないので、当然それを運んだ人たちがいたはずです。 日本列島の歴史の中で個人や集団が特定されるのは、弥生時代後半の卑弥呼ぐらいからで、縄文時代は遺跡があっても、なんとなくそこに人がいたという程度の認識しかない。最近この時代が、単なる狩猟採集社会ではなく、定住を基本とした社会であることがわかってきましたが、それでも具体的な縄文人の実像がなかなか浮かんでこない。その原因のひとつは、土器や石器などモノを中心に縄文時代を考えてきたからです。 縄文人に「野蛮人」の姿を想像する人は、依然として多いのではないでしょうか。彼らは山を越え川を渡り、どこへでも出かけて行って必要なものを手に入れる、と。しかし、実際そんなスーパーマンみたいな人間はいないわけです。そうすると現実には、モノを専門に動かした人たちがいたのではないか? 彼らは今日でいう「商人」的な存在ではなかったのか? 商人というと貨幣が介在してくるわけですが、今のような貨幣が存在したのか?もしかしたら、ヒスイ(翡翠)がそうした役目を果たしていたのではないだろうかということも言われるようになりました。 交易があったことは確実なわけですから、その実務を担った人たちの存在を想定することは、もう当然の流れだと思います。(P13・P14)
『ヒスイは誰が運んだのか?』
【小山】三内丸山遺跡がブレイクした原因のひとつが、やはりヒスイの存在でしょうね。
【岡田】いちばんわかりやすい特徴のある石ですからね。国内で産出する岩石ではもっとも硬く、磨くと美しい。しかも原産地が糸魚川周辺と特定できますから。 これまでのモノの移動というのは、せいぜい集落をベースにして、ある程度の広がり、小さな地域の中で完結すると思われてきました。ところが、集落同士は複雑なネットワークを形成していて、その集落は単に規模の違いだけではなくて、性格や機能、そして役割そのものが違うことがわかってきた。人によってはそれを「集落の階層化」と言ったりしますが、それが縄文時代中期くらいにはっきりとしてきます。
【小山】考古学では事実だけを追究して、大きな集落と小さな集落があると、集落のヒエラルキー構造が地域の中にあるということを簡単に言ってしまう。ヒスイの話も、考古学者の寺村光晴さん(和洋女子大学名誉教授)が言われているように、現在の新潟県糸魚川市あたりに産地があって、それが関東地方にも広がっていることはよくわかっていたはずです。寺村さんは、北国街道(北陸街道と中山道を連結する街道)に沿ってヒスイが出土するとまでは述べている。にもかかわらず、そこには商人的な存在を考えようとしない。ヒスイが陸伝いに広がっていったのは、例えば財産分けなどをしながらとか、娘を他の集落に嫁にやったときに娘にやったときに娘に渡したというように、贈与や交換レベルで説明しようというのかなあ。社会の中で手渡しているうちに、いつのまにか関東地方まで行ったことになってしまうんですね。(後半略:P17〜P19)
『「宝石商人」の集落』
【小山】三内丸山のブレイクは、ヒスイの型の多数派である「カツブシ型」ではなかったことが大きい。
【岡田】そうです。丸っこい、「緒締め型」というやつですね。あれはヒスイの本場の北陸地方にはない型です。この緒締め型で考えられるのは二つのケースで、ひとつはオーダーメイド。こちらから「こんなものをくれ」と注文する。もうひとつは原石が三内丸山に運ばれてきて、ここで加工されたものかのどちらかだと思います。ここで加工されたとすると、加工技術も含めたひとつの生産システムの存在を考えないとだめですね。
【小山】オーダーメイド説は、三内丸山でヒスイの原石が見つかったことで崩れたことになりますね。
【岡田】そうですね。緒締め型は他の地域には見られないわけです。津軽海峡に面した青森県と北海道南部に圧倒的に多い。その形は東北北部の特徴であり、また全国的に見てもヒスイの出土量自体が突出して多いわけです。緒締め型のヒスイが現れたのは、三内丸山の勃興期(約4500年前)ぐらいにあたります。
【小山】わたしが縄文商人の存在をあっさり言い切ったのをいちばん最初に聞いたのは、形質人類学者の埴原和郎さん(東京大学名誉教授)です。 「三内丸山は宝石商人だから」と(笑)。宝石商人かどうかは別として、「ああ、こういう捉え方もできるんだな」と思いました。
【岡田】しかし動くモノがあれば動かないモノもある。また、動いているがその証拠が見えないものもあるわけです。それを整理していくと、おもしろいことが見えてきます。 ヒスイやコハク(琥珀)は、縄文人にとって特別なものです。数が少なくて、貴重なものですから、それを求める動機が強かったであろうことは十分に理解できます。ただ、それ以外の日常生活で必要な食料や土器も動いています。これも非常に複雑な動きをしている。例えば、最初はアスファルトでモノの動きを調べてみた。アスファルトは鏃(やじり)の接着剤に使っていたわけですが、どんな場所、遺跡から出ているかを見ると、あまりにも複雑過ぎてわからない(笑)。 なんとなく水系が流通ルートらしいことは見えるのですが、産地からの距離が近いから多いかというと、離れていても多く出てくるところもあるし、近くても無いところには無い。「これはいったいなんだろう?」という感じでした。流通圏は、産地と集落の距離だけでは説明できない。(P20・P21)
明日へ続く
2008年06月24日
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